傑作。Rungano Nyoni長編二作目。何も知らずにキービジュアルだけで鑑賞を決定したが、A24製作だし『I'm Not a Witch』の監督だった。物語はザンビアの首都ルサカ郊外にある薄暗い道のど真ん中で、主人公シュラが母方の伯父フレッドの死体を発見するシーンで幕を開ける。シュラは仕方なく死体が運ばれるまで監視する羽目になり、酔っ払った従姉妹のンサンサに絡まれて、なぜか実家を葬儀会場に使われ、ホテルに退避したら"第一発見者なんだから報告する義務がある"とかなんとか言われて葬儀の最前線に立たされることになる。前半における馬鹿馬鹿しい儀式としての葬儀は非常に辛辣に描かれており、わざとらしく大声で泣いて抱き合う儀式(シュラは全く泣かないので情に欠けるとボロクソ言われていた)の直後に、まるでそんなことがなかったかのようにケロッとした顔でご飯を食べながらネイルやご近所さんの噂話をしていたり、未亡人は遺体を埋めるまで食事できないという新設ルールを強要したり、遺品山分けが決定したら双方の遺族で文字通りの奪い合いに発展したり、軽妙かつ極めて批判的に描かれている。一方で、フレッドおじさんが親類を含めた少女たちに性加害を繰り返していたことが分かると、これまで親以外には口に出来なかった、或いは誰にも話せずにいた事実が明るみになることで若い世代の女性たちが徐々に連帯/団結を始めていく様は丁寧に描かれている。題名にある"ホロホロチョウ"は捕食者に対して警告のために啼くらしく、彼女たちがそれになることによって、彼女たちを苦しめる伝統の重みを可視化し、それを撥ね退けることを力強く提示していく。この直前に観たLeonardo Van Dijl『Julie Keeps Quiet』も部分的に似たような題材を扱っていたが、結果的に身内が(特に年上の女性たちが)少女たちに沈黙を強いたという点で正反対の作品と言えるだろう。ちなみに、上記の泣く儀式はチェチリア・マンジーニ『ステンダリ 鐘はまだ鳴っている』を思い出した。どちらも泣くのは女性だけで、葬儀における彼女たちの負担の多さも似ている気がした。