悪意の坩堝。蠱毒の渦中。
次々と、飛んで火に入る、悪い夏の虫。
どこにも行かないでねってなんだったんだよ。
というセリフに対して、
自分でもわかんないの。で返せる優実。
魅力的すぎる。無敵の人間。乗りこなす女優。
この行き場のない、罰の閉塞。
そんな、罪の行き止まり。
太古から言われているはずの、「悪銭身につかず」「悪因悪果」。現代では、本当にそうか?
たとえば『ウシジマくん』や清黒沢の『cloud』。それぞれの悪意が玉突き事故から大クラッシュを引き起こすような映画はいつだって蜜の味である。そんな最新ワル映画、『悪い夏』が示した、悪意と不運と潔白の先に、人生には何が待ち受けているのか。
取り上げる社会問題は、生活保護不正受給。
その中に、一方的な悪はなく、悪の対には、別の悪。生活保護ビジネス。ナマポ。勧善懲悪にとどまらない、悪悪悪。
でも、一体誰から始まった「悪い夏」だか、わかんないね。
そもそも、人間を動物と考えると、暴力は全てを解決するんだよ。だから、暴力ってね、ダメだよね、ほんとに。って話。
暴力反対。だから、西暦1700年に社会契約論が生まれたのらしいんだから。
さらにきっと、だから、とかよりももっと以前からあったんだから。
でも、どこまでいっても、究極は腕っぷし。どうしようもない。悲しいですよ。
僕だって、窪田正孝が憎くて仕方ない。
さらに、もっとタチの悪い、どうしようもない、500年後の社会契約が生み出したパワー。SNS文化。ってやつもある。
不倫のスキャンダルや、配信者の殺人事件に近い。世間の声。という声の大きさとしつこさが、ものを言う新たな暴力。もしかすると、理想的な民主。故の制御不能。アウトオブコントロール。
多分、全ては、「俺だってやってないんだから」「ズルやってるやつは損するべきだ」
という根底。より僕らにとって大事なのは、自分の我慢を肯定できること。そのためには、「悪」や「ズル」が損をした方が良いのだ。そうしてついに、他人の不幸は、ひとつのジャンルである。よくわからないが、なんか上手くいってる人が転落していく話。もしくは、ルールを破って得をしている人にバチが当たる話。これは、日本昔話にも燦然とある。結局、勧善懲悪の理念の一つでもある。
ワルとクズ、だらけ?
今回はいろんなパターンのクズが登場したり、誕生したりする。
元々おかしい。少しずつ壊れていく。おかしくなるしかなくなる。おかしい人がちゃんと痛い目を見る。ずっとおかしい。実はおかしい。
まともになっていく。
悪意とは何か。親切と搾取。見返り。
爆発する感情。みんながんばってんですよ、仕送りして、俺だって必死にやってるのに。
真面目が、損をしてはいけない。流れから。
それを受け入れながらも。という変化。
なら全員に施しを与えるか。というと答えはノー。正義が勝つのではなく、傷つきながらも守るもの。なのでしょうか。
真面目に淡々と仕事をやってる公務員。きっとなんの罪もない人間。人を助けたきっかけから。割を食う。そこになんの救いもないだろうか。
そもそも、罪はなかったか。
どうしても選択の中に現れる無意識の差別。
こんなもの、いくらだってこじつけられる。
原罪とかもさ、いつ何時に言い出しちゃおうかなっつってキリストさんが肩をブンブン回して温めている。
世の中に、潔白なんて存在するのか。
それでも、潔白を目指してくれ。
運のいい人、悪い人。
せめて、例えば、どんだけ運の悪い人にも、暴力じゃない人には、きっと、ただいま、が待っている。
悪い夏。風鈴が割れる。
彼を助けたのは、天使の絵。
足は引きずっているが、帰れる場所がある。
ただ、あいつにもこいつにも待ち続ける女がいる。
意味もなく愛されている。
同じホームレスなはず。そのバックボーン。
とにかくあれだ、
どんな人にも平等に言える確かなことは、一つだけ、客に手出したらダメらしい。
ファミレスと、ドリンクバーから誕生日ケーキ。まで演出する、夢にまで見た、ほのぼの生活。その暖かさとみずみずしさ。
そして、一生続く。そんなわけなかった。
めっちゃ、「犯す女」とかの方向に近い舵の取り方。
こうして、城定秀夫監督の話をしたくなる。
ピンク映画かぶれの俺の話は長い。
2025・いつもの春。
ただいま。