さふらん

エフィ・ブリースト デジタルリマスター版のさふらんのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

 エフィーの話なのにナレーションは男性の声。エフィーの人生が左右されるようなシーン(例えば、エフィーの結婚はエフィーが家の階段から降りたらもう殆ど決まっていたし、エフィーの愛人と夫の決闘、それから家を追われるのも)にはエフィーがいない。度々挟まれる白い画面に格言みたいな文章が描かれたショットもエフィーの人生に関係があるようでないものばっかり。声も感情も思考も取り上げられているようだった。何者か、見えない手に。
 長回しで何度か眠くなったけど、たぶん私が眠くなったときはエフィーも同じく夢現と、自分の人生の舵をとれていないような気がしていたのではないかと思う。
 形式、しきたり、その他規範まみれの人々。『ブルジョワジーの密やかな愉しみ』とかでも思ったけど(まぁ、あれは欲があった)、とにかく本音を言わない。言わないのではなく、そもそも何にもないんじゃないか? と思ってしまうほどの空虚。むしろ、メタ的に彼らが映画を撮られていることに気付いていて、だからこそあんなにも感情を露わにしなかったのでは。懺悔で真実を喋れないみたいに、日記に本当のことを書けないみたいに。だから本当のことは何にもなくて、でも、一度エフィーの手紙を受け取った母親が「何かを仄めかそうとしている」と違和感を抱いていたけれど、この映画に感じるある種モヤモヤと晴れない気持ちも同じ。何か、何かを仄めかそうとしている。エフィーは。

 神よりも身近な権力ーー例えば、いいえ、例えばも何もなく、父や夫ーーの方が恐ろしい。あの人は紛れもなく教育者だった……エフィーは歳の離れた夫といると、自分のことを必要以上に卑小な存在だと感じたんだろう。娘はしきりに「はい、許可があれば」と繰り返した、オウムみたいに……。
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