このレビューはネタバレを含みます
原作漫画は読了済み。
ドラマ版はseason5よりリアルタイムで視聴して、それ以前の話は動画配信サービスにて視聴。
ドラマ版の聖地巡礼も、かなりの店舗を回っている。
そんな人間のレビューです。
最初に劇場版の話を聞いた時は「正気か⁉︎」と思いました。
おっさんの食レポモノローグが内容の殆どを占める話は1時間も無いドラマだから面白いのであって、長尺の映画として保たせる事なんて出来るのか?
突然五郎ちゃんが歌い出すミュージカルにする等無理に劇場版っぽい事をして、駄々滑りになるのではないか。
…と言う様に、不安しかありませんでした。
しかし、流石は十年以上五郎ちゃんを演じ続けて作品を知り尽くしている松重さんの監督作品。
それらは杞憂でした。
此方の予想を覆す良作に仕上がっており、個人的には最適解な「孤独のグルメ」の劇場版であったと思います。
確かに映画だからと言って特別スケールのデカい話では無いし、良くてテレビスペシャル規模の話なので、わざわざ大スクリーンで観る程の作品でも無いと云う感想は御尤も。
ですが、上述の通り自分は大満足な出来であったのです。
その要因は…
・映画と云う長尺の形式だからこそ出来た話の組立
・ドラマ版の集大成の様な内容
・映画になってもいつも通りの「孤独のグルメ」であった事
この三点です。
ドラマ版であると殆ど一軒、多くても二軒の店を回り、その近所で五郎ちゃんとクライアント等とのやり取りが繰り広げられる…と云う組立になっている「孤独のグルメ」。
今回は映画と云う形式を最大限活用し、ひょんな事からクライアントの父親より依頼された「お袋の作るスープを再現」をすべくフランス→五島列島→韓国→東京の店を渡り歩くと云うドラマ版では不可能な規模の食べ歩きが展開されます。
また、これらの長い食べ歩きの際のメニューには全てスープが含まれており、その一つ一つが上述のお袋の味に繋がる布石となっています。
更に、この食べ歩きが、とある夫婦の壊れかけた夫婦仲の再生と云う本作のもう一つの物語の軸となっています。
其々距離の離れた複数店舗の食べ歩き、食べたメニュー一つ一つが物語のゴールの布石、複数の物語の軸が展開…これらはドラマ版では出来ない話の組立だと思います。
エンドロール後の場面では、ドラマ版season1第一話に登場した門前仲町の庄介の前にて五郎ちゃんが我々観客に「腹減ったでしょ?」と語りかけて来ます。
今迄食べ物を美味しそうに食べる様を見せつけて我々を幸福且つ空腹にさせて来た男が、ドラマ版の始まりの店前で、第四の壁を破って我々に語りかけて来る…「孤独のグルメ」とは五郎ちゃんと食べる幸福を共有するものであるぞと言わんばかりのこのラストシーンに、自分は「孤独のグルメ」の集大成を垣間見た気がします。
パンフ掲載の松重さんへのインタビューによれば、本作は敢えて現実とフィクションの境目を曖昧にする作りにして、それにより「孤独のグルメ」と云う作品そのものを客観的に作品内に投影しているのだとか。
劇中劇「孤高のグルメ」の撮影は、その最たる例。
磯村勇斗さん演じる若者がラーメン作りをやめていたラーメン店主にラーメン作りを再開させ、最後に自分が「孤高のグルメ」の制作スタッフである事を明かし、ラーメン店を撮影に使わせて欲しいと頼む件は、撮影候補の店に「孤独のグルメ」スタッフが当初は身分を隠して店にアプローチをかけるのと全く同じ。
「孤高のグルメ」主人公の井之頭五郎ならぬ善福寺六郎を演じる遠藤憲一さん(本人役で出演されています)が、撮影終了後にラーメン店主に「プライベートでまた来ます。」と声がけしていたのも、松重さんが「孤独のグルメ」撮影後にプライベートで店にやって来るとこれまた同じ(自分が聖地巡礼した店の方と話した際、結構多くの店の方から同様の話を伺っています)。
他にも色々あるのですが、以上の様に本作は「孤独のグルメ」でコツコツと積み上げられて来たものそのものを表す作りになっていたかと。
映画になっても、「腹が減った」→ポンポンポンをやってくれたのは嬉しい。
エッフェル塔前でこの件を拝めるとは、思わなんだなー。
その他、五郎ちゃんが空腹で慌てる様や、韓国の入国管理局の審査官が述べていた通り五郎ちゃんの実に美味そうにご飯を食べる様等、映画になってもちゃんと「孤独のグルメ」をやってくれてきたのは嬉しかったし、安心しました。
スープを何とか再現して、クライアントの父親に振る舞ったところ「これは美味し過ぎて、お袋の味では無い」と云う少しクスリとさせられるオチも、「孤独のグルメ」らしい。
本作唯一の心残りは、五郎ちゃんと久住先生との邂逅を拝めなかった事ですかね。