移民としてニューヨークにやってきた男が自由の女神像を見上げて「新天地…!」とテンションアゲになるかと思いきや、その自由の女神像が逆さになったり真横になったりのフレーミングで、そのいきなりの奇矯さが冒頭のダンマリ少女の画と繋がってなにやら不穏に始まる「ブルータリスト」。
この映画の容貌と内容と語り口で長くもなく短くもなく、とはいえちょいと舟を漕いだりしながら「まぁまぁ楽しかったです」という感じ。
作り手の野心もありつつそれが高級な映画術(仮)にきれいに収まっている様に「TAR」を想起したり色々共通点を見出したりすることもできるけど、今のわたしはこの手の映画を微に入り細に入り味わう余力がない、というのが正直なところ。
全体を大雑把にどーんと受け止めたところで満足です。
主人公ラースローがハンガリー系ユダヤ人でホロコーストを逃れてきた、というのは劇中で適宜語られはしますが、彼が何をされたのか、または何をしたのか…ということをリフレインしてみせる前半と、それがまたさらに反響して返ってくる後半と、きれいな相似形であり二律背反の人間ドラマとして構成されているところが面白かったですよ。
あと主人公ラースローを被害者然として描くのではなく、負の出来事が人間性をより複雑に乱反射させ、それに抗おうとする姿を冷徹に描くことに注力している感じにスマートさを感じたりもしました。
それから男たち、特にラースローとハリソンのインポテンツ性というか去勢されたマチズモというか、そういう行き場を失った焦燥が同性からみると何ともやりきれないものがありました。ちんちん勃たないとか射精できないフラストレーションが狂わせるのですよね。
冒頭からラースローは射精したがっているように見えるし、ハリソンは言わずもがなで。
(だからといって彼らの行為が許されるものでもありませんが)
215分それなりに飽きずに観られたのは、隅から隅までコントロールされた映画としての美的な構築感。
画面構成と劇伴がとくに威風堂々としていて、なるほどこりゃIMAX画面に馴染みますワイ!といった感じ。
15分のインターミッションも込みで、たっぷりと映画芸術を堪能させられましたね。
しかし、上等なしかも長尺の映画を咀嚼するのもめんどくさくなっている自分もおりまして、よい映画館体験でしたけども、現代人としては「リアルペイン」のほうが即しやすくて身近で好き、ということになっております。
そうそう、冒頭だけ出てくるラースローのいとこの嫁さん役で、「メイヤー・オブ・キングスタウン」(シーズン3みなきゃ)でも好演していたエマ・レアードさんがまた小悪魔的な魅力を振りまいていたので、そこはポイント高ぇです。
という俗物感想で終わります。