ゴダールが自死を選んでこの世を去ったのもショックだったけど、ディヴィッド・リンチの死もびっくりした。
まさか自分がディヴィッド・リンチが死亡するという世界線に生きていたとは。
バカみたいだけど、リンチは死を超越している存在だとなんとなく思っていた。
スピルバーグと同じ年齢だもんな。今思うと「フェイブルマンズ」にリンチがジョン・フォードとして登場した意味やありがたさや、作風も映画作家としての立ち位置も来歴も全然違う同世代のふたりが共有していたかもしれないナニカを想像してみると、ちょっとジワッとくるものがある…てか涙出てきた。
とはいえわたしはそれほど熱心なリンチファンというわけではなく、映画は一応全部観ているけど深入りできていないし致命的なことには「ツイン・ピークス」を観たことがないっていうね。これから観ます!
しかし高校生の時にほぼノー知識で観た「ロスト・ハイウェイ」は意味のわからなさも含めて衝撃で、わたしの映画誌のなかで忘れ難い出来事であります。
ルー・リードの「this magic moment」が超カッコイーし。
今もって意味がわからないんだけど、不可解で耽美で悪夢的な世界に閉じ込められる感じは嫌いじゃありません。ていうかわりと好き。
そんなリンチ先生の傑作といわれる「マルホランド・ドライブ」の4Kレストア版を観てきました。
これも20代前半の頃に観たんですけど、冒頭シークエンスとセックスシーン(わたしの中で歴代のいいセックスシーンのひとつ)と「ナオミ・ワッツはニコール・キッドマンに似てるなぁ〜」と思ったこと以外、ほとんど忘れてました。
映画=夢の再現というひとつの定義がありますけど、リンチの映画はまさに夢のような不定形さと深層意識を反映した脈絡(のなさ)で、そこが魅力だし、夢だからすぐ忘れる笑というのがあると思いましたね。
ジャンルとしては犯罪ノワールでファムファタールがいて殺人事件が起きて…というお馴染みの定型ではあるんだが、その物語的な理屈をパズル的に解体してリンチの美的意識で持ってリビルドして出来たナイトメア曼荼羅みたいなもんで、ゆえに映画としては難解になっているのだと思う。
逆にいうと難解ではあるんだけどその断片はとても親しみやすおので、くらくらと惑わされつつも脳がバキバキで最後まで観ちゃうっていう感じ。
時々爆発するエキセントリックさがファニーに振り切れる瞬間があるのも確かで、わたしはそこも好きです。
あとなによりも魅力的なのはリンチ的なキャラクターですよね。
ときに不可解だったりエキセントリックであったりするんだけど、そこに描かれる善悪とか愛や憎しみのエモーションがキャラの芯として強いしそこがパワフルに駆動するので、そこに乗っかれる部分も多いのだな、と改めて観て思いましたね。
ほんと、キャラクタードラマとして優れているし、翻ってみればそれがディヴィッド・リンチの人柄のエッセンスが散りばめられてもいるわけで、リンチの映画を観ることはつまり、リンチに会うことと同義なのものかもしれない。
そこを突き詰めると、リンチの映画はリンチそのものなので、わたしたちはいつでもリンチに会えるし、リンチは死んでいないことになる。
彼が彼の中のアートを映画というフォーマットに落とし込んだ時点で、彼はやはり死を超越していたんだな。
だから肉体がなくなっても悲しむことなんかないのだ…
ということですね。
ハリー・ディーン・スタントンの遺作である「ラッキー」にリンチがほとんど本人役みたいな飲み屋の常連客で出ていて好きなんですけど、その佇まいを思い出すだに、ま、やっぱ寂しさは拭えませんな。
とかなんとか書いてきましたけど、「マルホランド・ドライブ」について言及してないや。
ハリウッドを舞台とした〝女優〟のオハナシでもあるので、今観るとまた別のニュアンスが立ち上がってきたりもしますね。
ともかく。
にわかのわたしは「ツイン・ピークス」をちゃんと観て出直してきます。
あと「ロスト・ハイウェイ」もリバイバル上映されるので必見だわ。