映画は、ボブ・ディラン(BD)を乗せた車がマンハッタンをおもわせる橋をわたるところから始まり、これから住むであろう街を巡り、難病で入院中のウディ・ガスリーを見舞いにいくシーンへとつながっていきます。
BDは病室に入り、軽い挨拶をすますやいなや、”Song to Woody”をうたいだす。
初対面の若者がフォークの大家を前にして歌う? 臆面もなく....うーむ。
しかし、ウディと傍らのピート・シーガーは呆れるどころか、たちまち彼が歌う世界に魅入られてしまった。
なぜか
その歌詞⬇️ もメロディー⏬もウディが作ってきた世界と近親性があり、ウディへのリスペクトを自然に感じとることができ、さらにはBD自身の旅の始まりを素直に宣告しており、ウディたちの心にストレートに入り込むのは至極当然で、映画という仮の世界をみてるこちら側も、まるでその場に立ち会っているかのごとくに感動を与えてくれた。
彼の音楽に対する基本姿勢はこのシーンで表現されていたと思います。
その後は、ドラマ風に、ドキュメンタリー風に、また当時の社会・国際情勢の中で、実際どのように音楽に向き合っていたかが映しだされ、各地での公演におけるBDの音楽スタイルが紹介され、’65ニューポートのフォークフェスでのエレキギター’事件’へと流れていく。
ラストの場面は、思いつきでエレキに転向したのではなく信念、変える必然があれば変える信念、それを貫いたのがわかる撮り方をしています。
’事件’の直前に戻り、ボイド・ホルブルック演じるジョニー・キャッシュのシーン。
ステージにあがり、あの有名なThe Johnny Cash Gun Poseで歌う姿、演技とはいえ、虚実の壁を打ち壊した超絶カッコいいヒルビリーそのものになっていました。
あんなステージを一度は生でみたいものです。
あとひとつ、本作でジョーン・バエズの”Diamonds & Rust”の意味がすこしみえてきました。
BDのアパートメント一室で彼とジョーンが互いに欠点を言い合うシーン、その何年後かDBがチェルシーホテルの彼女の部屋へ無理やり入り込んだシーン。
各シーンをつなぎ合わせると、ジョーンのrustはヴァガボンドBDの負の部分、彼の影部分、バカ野郎部分、つまりダイアモンドの影の部分を指しているようであり、するとあの曲は”光も影もぜんぶ含めて面白いリリックをつくってよ”、あたりになるのかなと思えてきました。
以上
以下は、本文注釈⬇️と⏬と 追加メモ
⬇️
”Song to Woody”歌詞の大意
//長い道のりをこえて
ウディ、ぼくはあなたに会いに来た
あなたが教えてくれた世界をみてきた
歌も作った
だけど、この奇妙な世界にいる病み餓え疲れた人たちのことをあなたほどうまく伝えられない
いくら歌ってもあなたほどには上手くいかないのだ
そんなあなたとあなたの仲間たちに乾杯を捧げ
ぼくは明日でも今日でも前に進みたい
いつかどこかあなたが辿ってきた道を歩みたい
過酷な旅になるのはわかっている
だけどぼくは行く
ウディ、そのことを最後に伝えておきたい //
公式翻訳の字幕と耳に響いたワードを足して2で割って、さらに前後の意味を圧縮して脳内編集をしたあげくのワケワカメ変換ですが、たぶんこんな感じでしょう('◇')ゞ
⏬
”Song to Woody”のメロディーはウディの名曲「1913 Massacre」をベースにしています。
追加メモ
BDが日本で知られてきたのは
・1960年代後半からで、京都は早かった
・そこには片桐ユズル・中山容という、さりげない、しかし強力な理解者がいたこと、ほんやら洞、KBS京都、ラジ関などがよく取り上げたから伝播していったと考えられる
・日本全国へは、主にNHK-FMリクエストコーナーの石田豊DJ(テーマ曲:真珠貝の唄。前任者は関光男DJ テーマ曲:looking for a star)から伝播していった
・関東は広いので、京都盆地のようなスポット性はもたずスポラディックに存在していた模様
・当初は彼のナザル(鼻声的な声)、ダミ声(dummy voice)を嫌う人もいたが、1969年”ナッシュビル・スカイライン” はそこにスィートな声質(美声)も加わり、ファン層の拡大につながった
・誇大妄想はよくいわれるが、逆に韜晦ないし自己否定の傾向もあると思われる
・その双極性が彼の人物像を描きにくくしている
・音楽性が複雑に変遷するのもそこに起因かなと
公開されている動画をみると
・BDとジョーン・バエズの仲はジュディ・コリンズがしってたのかも
・ジュディ姉さん、事情通!
・それにくらべBDの頓着のなさ、そっけ無さ、だがそこがいいのだが
ピートの奥様トシさんは
・舞踏病患者支援では名が知られた人、トシ(Toshi)は愛称であり日本人を意味しているわけではい
・おそらくウディがレイシズムや移民差別に関心があることから夫婦で相談して決めた可能性あり
・結論:映画で日本人としたのはハリウッド流の史実脚色の可能性あり