このレビューはネタバレを含みます
男は恋人との暮らしの為にやりたくない仕事を始め、女は奔放にやりたい道を突っ走るこの同棲生活、「花束みたいな恋をした」でも観たなあ
とか呆然と考えてたらこの作品がピンとこない理由がわかってきた
硯駈という男。根は優しすぎる程だということが、赤ちゃんを助けたり、15年間の結婚生活の実態をネタバレされた時の自責に苛まれる姿からも容易に想像できる。
劇中で冷め切っていた結婚生活の要因はモラハラ化した彼に依るところが大きいような描き方をされていたけど、彼がドアの開閉で機嫌を表すような男になってしまったのはカンナにも落ち度はあったはず。結婚生活なんだから。
それなのにこの映画の結論は、あえて極端な言葉を使うと
「駈にのみ、我慢を強いた」
最終的な世界線では、駈にのみ、今後15年間のネタバレが行われ、カンナは何も知らぬ変わらぬまま。駈だけが意識して結婚生活を良い方向に持っていったのだと想像つく。作品としては嫌いじゃないけど、これに「感動した」「感情移入した」という感想が出てくるのは恐ろしいことだと思う。「相手の欠点が4Kで見えてくる」とまで言わしめた結婚を改善する手段として提示されたのが「男側が我慢して相手の機嫌を取り続ける」なんだから。
手紙で幸せだったとか書いていたけど本当か?時を越えてまだやってもいないモラハラを追求されて本来とは全く違う自我に変質して、これこそがDVじゃないのか
とはいえ、この制作布陣だとある程度の層にウケることを狙っているだろうし、共感したならそれでいいとは思う。ただこの渦に呑まれたらただのエンタメの形をしたプロパガンダになってしまうので声をあげていく。男として。