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ファーゴのKHのレビュー・感想・評価

ファーゴ(1996年製作の映画)
3.7
2024年度の年間ノルマ70本中44作品目。
見させて頂きました。

また、こちらもタイトルこそ知ってはおりましたが初見でございます。
さらに監督のコーエン兄弟作品としては
『ノーカントリー』が記憶に新しく、
あの強烈なキャラクター『アントンシガー』は未だに僕の中で異彩を放って記憶しております。

ただこちらの作品を見るにあたり非常に難航したと言うか一体この作品のジャンルはなんだったのかと言う答えが未だに見つけられておらず、
見終わった後に調べた結果、
『サスペンス・ブラックコメディ』という聞きなれないジャンルでした。

なので今からこの作品を見る人が迷子にならぬ様に先にお伝えさせて頂きました。

また、主人公のマージもどこかで見たことあるなぁと思っていたら、
これまた最近見た『ノマドランド』の
フランシス・マクドーマンドさんでした。非常に表情豊かで実にいい俳優さんでした。

まずはネタバレなしの率直な感想をば述べます。


『非常に掴みどころの難しい作品でした。
映画を見る際に、これはどう言う意味なんだろう?なんでこんなセリフなんだろう?とか
なんでこのカットを挟んだんだろう?とか色々考えながら製作者の意図みたいなものを汲み取ろうとするんですが、
それらに意味があるのかわからなくなると、
結局は理由をこじ付けたり、自分なりの解釈によって咀嚼してなんとか飲み込もうとするんですが、
それが非常に難しいタイプの作品でした。
何かありそうで、でも何もないかもしれない。というどっちとも取れる作品というか。
僕が日本人だからなのか、全てに意味や意図があると思い込んでる様な、
そんな僕を嘲笑うかの様な作品でした。

ストーリーは非常にわかりやすいし、テンポもいいです。ただなんか不気味なんですよ。ずっと、えっとこれはギャグなんかな?みたいな。いや、笑えないけどね。みたいな。

そんな独特の空気感を是非楽しんで頂けたらと感じる作品です。おすすめします。』


面白いのは、文句なしに面白いですので、ご安心を、ただ非常に掴みづらいというだけです。

また、ここからはネタバレを含む感想になりますので、まだ見てない方はご注意をば、


まず、この作品を掴みどころの難しいと表現した最大の要因が冒頭にあります。
『この作品は実話を元にして作られてます』
というテロップが挿入されるため、

ぶっちゃけ実際に起こった事件に対して仮にどんなにギャグっぽくてもなんとなく笑えないのだ。
それは実際にいる人を馬鹿にしたり冒涜する行為になってしまうからではあるものの、
しかしながら、ラストには今作が完全なフィクションであるとテロップが入るのである。

調べたところ、実際にはウッドチッパーで殺害された『ヘラクラフツ殺人事件』からインスパイアされて作られたフィクションである。

なぜ、この様な手法を用いたのかの意図が全くわからないため、
冒頭でこの文章を入れておけば、仮に中身にどんだけのギャグを散りばめたとしても、きっと笑えないぞ。
所謂日本の年末にやっている

『絶対に笑ってはいけないファーゴ殺人事件』
をやってるのだと理解できる。

つまり、あえて冒頭でこの作品が実話ですとテロップを挿入する。と観客は被害者を想いやって作中のギャグに対し『不謹慎では?』と疑念が浮かぶ、でも止まらないギャグシーン。笑える、でも我慢、笑える、我慢。

そして、ラストのテロップでは、フィクションだと告げられると、
『なんだよ笑って良かったんかよクソ、やられたわー』を楽しむための作品だと感じます。

ただ個人的には、本当に笑えれば良いんですが、絶妙にそこまで面白くないというか、
なんか弱目のギャグだなって感じるんです。

例えば、スティーブ・ブシェミ扮する誘拐犯カールが、街で買ったとされる娼婦に事情聴取に行く際、
その女の子が絶妙にブスなのだ。

よくぞこんな絶妙のブスを見つけてきたなーって感じるし、その子がカールの見た目を話す際に『うーん、なんていうか変な顔なのよね。とにかく』というのが後々、別の人からも同じ様に回収されたりと、
確かに、ブシェミって変わった顔して、変だなーって思ってたけど、
世界共通なんかな?と、すんごい笑いたいけど、そこまで面白いわけでもない的な。
なんとももどかしい。あとちょっとやり切ってくれれば良いのに、
例えば娼婦の若い子をもうハッキリ言って男やん。みたいにするとか。

また作品を調べると、どうもこの作品の登場人物がほとんど『ミネソタ訛り』を話すらしく、
それが絶妙におかしいのだそうだ。
まぁ仮に吹き替えを関西弁、
いや、むしろ東北弁で話してると想像してみよう。

うん、そらおもろいわ確かにと感じてくる。実験的でも良いから、この作品の吹き替えは思い切ってそんな舵の切り方をしてくれても良い試みなのかもしれない。

また作中に何故か登場する意味ありげなキャラクターとして
『マイク・ヤナギタ』という人が出てくる。
しかし、そちらのカラクリも

ミネソタ州の人は基本的にはみんな人当たりがいいとされているが、実はそれは
『ミネソタ・ナイス』という言葉も存在する様で、
他人との対立を回避する目的であり、
偽りの善意を装い、裏では他人を卑劣に攻撃するようないわゆる受動的攻撃性を持つことを自虐的に表してこう呼ぶらしい。

あまり馴染みがないので、京都の人が、客に帰って欲しい時にお茶漬けを出すみたいな認識で合ってるのだろうか??
その辺が日本人だとどうしてもわからないから悔しいなと感じる部分でした。

また、ラストの衝撃的な展開。
誘拐犯が仲間をウッドチッパーにかけるシーンですが、
すんごい気になったのは、死体を隠滅するためにウッドチッパーに入れるにしても、
周囲に血が飛び散りすぎてかえって目立つやん!が多分一番の大ボケだったのかなぁって思います。

今考えるとこの誘拐犯たちは、バレない様に簡単に殺人はして口封じみたいな事はするのに、
徹底的に死体を隠滅しないのである。

警察官も、目撃者も、社長も、駐車場の管理人?も、
基本放置である。

今考えるとギャグだったのかなぁと感じます。
『いや隠せ隠せ死体‼︎口封じの意味わい!』
とツッコミを入れて欲しいのでしょうか。

また、マージたちも実際に死体を調べているにも関わらず、悲壮感がないというか、
旦那の絵はどうだったか?とか
妊娠がどうだとか、割とそっちのけの会話が目立った印象です。

田舎町に突如やってきた凶悪犯罪のはずが、
道の真ん中で鹿でも撥ねられてるが如く冷静な対応である。

しかし、ラストでは結構大人しく捕まった犯人に対して、楽しいことなんていくらでもあるのに、どうして悪い事しちゃうの?というまるで子供に語りかける様に諭すのが印象的で、

自宅に帰り、旦那の描いた絵が3セントの切手に使用される事を聞き、
それを今回の事件で諭したことと照らし合わせて
『ほらこんな小さなことでも十分幸せは感じられるのよ』という表情でエンディングとなります。

とまぁ僕はその様に解釈しました。

まぁ本当にそう思います。映画一つとっても、これだけの事を考えたり思いを馳せたり、反芻することによって、仮に2時間程度の作品でも十分に僕は楽しめるし、

それがサブスクならほぼ月額で見放題なのだから個人的にはめちゃくちゃ心が豊かになるなぁと感じております。
しかしながら世の中には、何故かギャンブルに依存してしまったり、ホストのために身体を売ってしまうほどの情熱を傾ける人がいたりしますが、

個人的には、一本の映画を見てちゃんとそれについて感想文でも書けば、今まで見落としてきた小さな事も余す事なく楽しめる人生を享受できると思っている今日この頃です。

脱線してしまったので今回はこの辺にします。
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