ヨダセアSeaYoda

私の親愛なるフーバオのヨダセアSeaYodaのレビュー・感想・評価

私の親愛なるフーバオ(2024年製作の映画)
3.8
タイトルやポスターからは「パンダの可愛さに癒され続ける動物園ドキュメンタリーかな」と思って観始めた本作。しかし実際には、幼い頃からパンダ・フーバオを育ててきた飼育員たちとその別れにまつわる、非常に人間的な、そして感情のこもった物語が綴られていた。

パンダが中国に返還されるという事実は、あらかじめ決まっている運命だ。それでもなお、その日までフーバオに変わらぬ愛情を注ぎ、まるで自分の子供・孫のように寄り添い続ける飼育員の姿に、思わず胸を打たれる。たとえ別れが避けられないとしても、その感情を抑えるのではなく、全身で向き合う姿にこそ、深く共感した。

印象的だったのは、カメラの視線。色合いや構図からは、飼育員がフーバオに注ぐ愛情の視線がまるで伝染してくるかのようだった。観ているこちらまで、気づけばパンダを愛でている気分になる。そしてその視線は、飼育員だけでなく、動物園に訪れる観客や、韓国の人々のまなざしにも重なる。国民とフーバオとの絆も、表情や映像を通してとても丁寧に描かれていた。

パンダのふとした仕草や表情にも、どこか感情が宿っているように感じた。もちろん、動物だからそれは偶然かもしれない。けれど、それでも「その場面にふさわしい感情がある」と思わせるように映像が撮られ、編集されている。リアルな記録映像を、ひとつのエモーショナルな物語として昇華させている点に、この作品のドキュメンタリーとしての完成度を実感する。

そしてなにより、別れのあとに残された空間の描写が美しい。フーバオのいなくなった部屋の静けさや、木に挟まったままの毛…。そこに何があるわけではないのに、確かに“感情”が残っている。観客はそれを受け取り、喪失を実感する。その余韻の持たせ方に、映像作品としての繊細な力があった。

また、あえて詳しくは語らないが、動物園の外で飼育員を襲う出来事も描かれており、それが真実は小説より奇なりな人間ドラマを演出している。細かい電話なども追っていたことにより、飼育員自身の人間ドラマもあり、フーバオとの別れだけでなく、もっと大きな“別れ”を抱えながらも立ち続けるその姿には、静かな強さと深い優しさを感じた。

唯一気になった点を挙げるとすれば、ラストの構成。終わるようで終わらない、いわゆる“終わる終わる詐欺”的な編集が何度か続くことにツッコミを入れたくなり、少しだけ集中力を削がれる瞬間があった。ひとつひとつの場面を丁寧に区切りながら、大切に終わらせようとしているのは伝わるだけに、もう少しスムーズな着地があれば…とも感じた。

それでも、この作品が観客に届けてくれる感情は確かなものだった。

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観た回数:1回
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