ヨダセアSeaYoda

メイデンのヨダセアSeaYodaのレビュー・感想・評価

メイデン(2022年製作の映画)
3.9
冒頭で描かれるのは、カルガリー郊外を舞台に、ひと夏を全力で駆け抜ける若者たちの姿。とりわけ、無謀とも言えるほど突き抜けたカイルと、彼に寄り添うコルトンという親友コンビの姿が印象的に映し出される。彼らの素行は決して褒められたものではないが、思春期特有の無軌道さには奇妙な魅力があり、観る者の胸に懐かしさを呼び起こす。彼らが体現する青春のモラトリアム期の脆さと儚さは、心に沁みる感情を引き起こす。

だが物語は不意に悲劇へと転調する。カイルの命が失われるシーンは、詩的かつ強烈な映像美で表現され、鮮やかに心を揺さぶる。空が完全な闇に溶けきれないまま広がる風景が、この喪失の痛みを象徴的に彩っていく。生気に満ちていたはずのコルトンから、徐々に光が失われていく姿には、見ていて胸が締め付けられる。

友人を喪った後のコルトンの姿は、見る者の心を引き裂く。つい先ほどまでカイルと共に悪戯に興じていた少年の表情から、すべての光が失われてしまったかのようだ。この喪失感の重みは、彼の肩に見えない鎖のように絡みつき、その足取りを鈍らせていく。親友との死別という、思春期の少年が背負うには余りにも重すぎる現実。彼の心の空洞を埋めるものはあるのだろうか。

映像作品としての力量も見事。若者特有の繊細な感情の機微や、喪失の痛みが、美しい映像と詩情あふれる語り口で表現されている。特に16ミリフィルムで撮影された映像は、物語に独特の質感と温かみを与え、現実と幻想が交錯する世界観を絶妙に支えている。本作で用いられているマジック・リアリズムの手法は、日常の中に潜む超自然的な要素を自然な形で織り込み、現実の悲しみと喪失を、より深く、より普遍的な次元で描き出すことに成功している。

物語の転機は、かつての遊び場である渓谷でコルトンが偶然見つけた一冊の日記帳にある。同じ高校に通う少女ホイットニーのものだ。彼女は行方不明になっており、その日記には周囲との関係に苦悩する繊細な心情が赤裸々に綴られていた。

ホイットニーの物語は、現代の若者が抱える別の側面の孤独を映し出している。思春期という混沌とした時期には、集団の「ノリ」についていけるかどうかが、ときに残酷なほど重要な意味を持つ。善良であることや誠実さよりも、周囲の空気に合わせられるかが社会的地位を決めてしまう。ホイットニーは周囲の浅はかな遊びや冗談についていけず、次第に孤立していく。彼女の孤独は、観る者の中に眠る過去の記憶を揺り起こすほど生々しい。

そして物語は思いがけない展開を見せる。孤立したホイットニーと彼らの間に生まれる不思議な繋がりは、本作の核心に触れる部分であり、ぜひご自身の目で確かめていただきたい!
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