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山逢いのホテルでのSPNminacoのレビュー・感想・評価

山逢いのホテルで(2023年製作の映画)
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男は旅人だが、女はどこへも行けない。ダム湖のほとりを立ち止まることなく歩いていくクローディーヌは、家から遠く離れたホテルで非日常的な女を演じることで束の間自分を解放する(金銭の授受があるとしても、そうした場面は省かれてる)。そこでの男たちは乗り物だ。バスや電車、モノレールでのルーティン。でもクローディーヌはそれに乗っても旅人になれない。家では息子の介護と仕立て屋のルーティンがあるから。
2つのルーティンのおかげでバランスを保てるのはよくわかるけど、それは内なる抑圧でもあった。クローディーヌは「間違った道」の往復から初めて足を止め、男と2人で歩くことになる。自分も旅人になれるのか、いや、なってもいいのか。見知らぬ街を綴った偽手紙は誰のためなのか。思えば今まで男にずっと与えてきた(欲しいものは自分で手に入れた)犠牲と代償はなんだったのか。
ホテルに並んだ小さな窓、壁のように聳える山々とダム湖、カーテンの向こうにいる息子、ダムで数トンの水圧、楽しんだ後引き出しの中に溜め込まれるダイアナ妃の切り抜き。演じるのを止めるほうが不自由になるジレンマ。
クローディーヌの声は穏やかで優雅で確かに魅惑的だ。でも内なる声は、アルプス山奥からふもとの街へ、白から黒へ、衣裳やブーツ、スカーフ、メイク、歩幅が如実に物語っていく。なのに多くは語れず、最も感情が極まる瞬間でさえ声にはならない。その抑圧の重さを周りの女性たちも知ってるのに、すべてを語らない。
だから、溜め込んだダムが決壊したあの声にやられた。ダイアナは死に、息子を見送り、彼女は人生を諦めるのを受け入れた…と思われたその時の、なんと呆気ない「解放」か。息子の乗り物である電動車椅子と、クローディーヌが乗れなかったバスの鮮やかな対比。私には色んな意味でのちきしょう!だと受け取った。それが彼女の溜めてきたすべて。
謎めいた女から生活感ある女へと、ジャンヌ・バリバールが沈殿したエモーションをふつふつと湧き立たせて目が離せない。もしエピソードの順序が違えばまた印象が変わると思う。シャンタル・アケルマンとか昔からあるテーマだけど、ディティールの積み重ね、見せない語らない部分の物語ることが沢山ありすぎて、とても濃密な92分。音楽に合わせて少しだけ揺らす肩から、ハミングするまで移り変わる感情は静かなジェットコースターみたいだ。そして山映画というよりダム映画。ダム底でのロマンティクなシルエットは閉所恐怖症的でもあって心に残る。
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