めっちゃ面白かった。
テンポとかノリじゃないコメディ。
真面目なコメディって
こんなにも面白いんだなぁって
改めて感動した。
脚本を書き終えてから
長塚さんにオファーしたらしいけど
断られてたら
映画になってなかっただろうなぁ。
ていうかここまで自分に寄せてある役
まぁ断れないだろうなw
長塚京三のチャームが爆発。
彼特有の“すっとぼけ感”と
品と知性と非マッチョな佇まいと
シニカルさとユーモアと
とにかく全部盛り。
そして、食べ物というか
食器・食卓演出も爆発してた。
丁寧に作る食事を丁寧に食べる。
それがどのくらいの丁寧さなのかの
演出のこだわりが凄すぎたw
一人暮らしのお爺さんなのに
割と最近のものであろう
羽釜の炊飯器を使ってる。
ご飯のお供の正方形の塩昆布は
凄く素敵な
蓋付の四角い器に入れられてる。
でもお茶はヤカンから直にイン。
私の予想ではあれは麦茶だw
薬味のネギは凝った菱形の小皿に
ちゃんと盛るのに
わさびはチューブから直に
そば猪口にインとか。
彼の食器の使い方や食べ方で
彼の暮らしに対するスタンスを
ミリ単位で伝えてくる。
まぁとにかく麺が好きねw
そして食べただけでは終わらない
食べ終わった後がどうなってたのかで
また多くのことを物語る。
食器が置かれた流しとか
お客が帰ってもそのままのお茶とか
翌朝の1人分のお皿とか。
ここまでのレベルで
食事にこだわった演出って
初めて見たと思う。
晩年、彼に襲いかかってくる沢山の夢。
敵と呼ばれてるものたちの正体って
つまり「過去」なのかなぁ。
そして過去を過去って認識してるのって
自分なのだから
とどのつまりは「自分」て事か?
以前、人生ってなんなんだろうと
薄らぼんやり考えたとき、
「全てのものは
その人の頭の中にしかない」って
思った事がある。
あらゆるものの存在は、
その存在を認識する脳みそがあって
初めて成立する。
何が言いたいかというと
頭の中だけに存在してるものも
この世に実際に存在してるものも
一個人の中では大した違いは無い
という思い。
彼の頭の中にある色んな人
その人たちのセリフや行動や
ウンコや後悔や加齢臭や寂しさや
女医や欲望や見栄や本音や
本当に色んなものを
楽しく見せてもらった。
文学と現実ってどっちが偉いんですかね?
ドキっとするセリフ。
そして、敵って呼んでたけど
全然悪いもんじゃ無いなーって。
死とか老いって
初めての事だからやっぱり怖いけど
でもそれだけじゃなく
滑稽で、思いもかけない面白さも
あるんじゃないかと思えた。
縁側に足を投げ出して
座っている最後の表情が
全く別人でびっくりした。
抜け殻のように見えたけど
雨の音はとても優しげで
悲壮感は感じなかった。
最後に出てきた中島歩。
きっと長塚京三のチャームを次に担うのは
君だからね!って意味だと思う。
是非頑張って欲しいw
余談だけど、私も
実家を処分する際に
納戸から出てきた大量の石鹸を
押し付けられるような形で
全部では無いけど貰ってきて
今でもちまちまと消費している。
KAOの刻印、あー知ってるやつだわー
って思った。
河合優実の服のスタイリングと
ヘアスタイル、
なんか変だったよなぁ。(褒めてる)
初対面の時のもの凄いパフスリーブ、
ソファ席で飲んでた時の
Tシャツみたいなロゴの入った
ニットのワンピース。
聖子ちゃんカット。
後から考えるとだけど、
あの服でお金に困ってるは無いなw
自分でも驚くくらい
どんなお皿だったとか
奥さんのスカートの柄とか
パフスリーブとか、羽釜とか
蕎麦の上に意外と雑に乗っかってる
太めの刻み海苔とか
細かいディテールが記憶に残ってる。
クリアな映像のモノクロだったから、
画面の中の
自分の興味が向いた対象だけに
フォーカスがしっかり向いて
そこが記憶に焼き付くみたいな効果が
あったように思う。
洗濯物の中のゆるめのブリーフも
とても老人らしくて印象的w