やっと見られた。祝日とはいえ思った以上に席が埋まっていて、関心の高さに驚くとともにみなさんどんな立場や期待値でこの映画を見にきたのか気になった。普段の生活だと統合失調症に対して無知無関心なひとばかりだと思って生きてたけど、意外と色んな人がいるのかな。
本作を見る前は「子どもを殺してくださいという親たち」に出てくるような、親の過度な期待や外面を気にする価値観を包括した機能不全家庭の話かしら、と思っていたけど、ある意味もっと「普通」寄りだったので、当たり前だけど「リアル」だった。
監督も姉も親世代なので、発症した頃の時代背景の肌感覚はない。
けれど、夫婦の話し合えなさとか子どもの意見を聞かなさはわかる部分もあった。25年間の放置でどんどん姉の症状が悪くなる姿と、医療にアクセスした後の変化はとても印象的だった(もちろんたまたま合う薬があった、閉じ込めて隔離したまま帰ってこれないような病院でなかった、など複数の要因があってのことだとは思う)。
どちらかというと統合失調症の姉よりも両親が気になり続けた。冒頭で両親の課題、という話もあったがまさにそれだと思った。
母は「パパに止められる、パパが死ぬ」と言い、父は「ママが望んでなかった」と言うあの矛盾、一番の当事者たちなのに本質的な議論は出来ず時が止まる感じ、ああわかる、と思った。伝統芸能、臭いものに蓋。
父親が何度も何度も国家試験の話をするのも、葬儀で「執筆中の論文」の話をするのもキツい。でもいる。こういう人物。
避けて通れないからこそ外部の人も巻き込んで解決しないと、と改めて思った。海外の家族カウンセリングとかの必要性を改めて感じた。
もう1人きょうだいがいて、監督と同じ目線で説得できたら変わることもあったのだろうか。わからない。
いつまでも子ども扱いで話を聞かない母親も印象的だった。これも、よくあるだろう。
なんというか、もっとこの世に「最悪」の家庭はたくさんあって、この家族はそれと比較すると「マシ」だというのも、また難しかった。それでも別の形の地獄がある意味徐々に形成されて深刻化していて、それが例えば玄関の鎖に表されていて。少しずつ、確実に煮詰まっていく感じがざらざらしている。「家族」とは「共同体」とは、と考える。
これだから、自助共助とか言ってなんでも「家庭」に押し込めるのは怖いのだ、と、思った。改めて。
母の妹が母の苦労を語るカットもあり、この事象もそれぞれの視点と価値観で理解は大きく変わるのだろうな、と思う。本当に難しい。けど、社会としてはやはりもっと医療や福祉へのアクセスが身近であることを祈りたくなる。