映画漬廃人伊波興一

ゴダールの決別の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

ゴダールの決別(1993年製作の映画)
4.2
レマン湖とそのほとりの町。
白と青の基調色に、キース・ジャレットのピアノとキム・カシュカシャンのヴィオラの旋律が融合した時、ゴダールが映画という虹が架けた。

ジャン=リュック・ゴダール
『ゴダールの決別』

例えば『気狂いピエロ』『軽蔑』『中国女』や『ウィークエンド』などは、油彩画やペンキ画を想起させるほどに真っ赤な印象が強かったゴダール画面ですが、ここでは異様なほど透き通った白と青が画面色の基調となってます。

ジェラール・ドパルデュー演じるシモンが妻・ローランス・マスリアルに、自分はお前の夫の身体を避難場所にしている神だ、と天地創造の秘密を語る随所の場面は、どこまでも底意が無いように見えながら、限りない索漠さを秘めたように冷たく映えて広がっています。
同時に
(ポジは誰にでもあるけど、ネガは自分で作るものよ)と女が子供の質問に答えたように、画面全体にみなぎる大気はいくばくかの可能性を孕んだ不思議な光のよう。

ですが、ギリシア神話の主神たる全知全能の存在であるゼウスを擬人化し、その妻と結ばせるなど、もしかしたら、レマン湖をひとまたぎにした虹の下を、あわよくばくくり抜けようとする終わりの無い試みかもしれません。

しかし、観ている私たちは、やはりおいそれと諦めるわけにはいかないのです。
周りの忠告などお構いなしに、目前に浮かぶボートに乗り込み、腕まくりをしてがむしゃらに漕ぎ出すしかない。
科学に通じてるわけでも、経済に敏感なわけてなく、何十年も飽きずに映画を繙(ひもと)き続けてきたからには、ゴダールが大仰に架けた虹の中に、スペクトル以上の真理を予感し、死をも超越した何かが実在するかどうか確かめるべく、分際も弁(わきまえ)ずに、ぐんぐん猛進するしかありません。
文学にも、音楽にも、その他芸術どころか哲学にもなかった映画の中だけにしかないものがそこにある、と信じて。