bluetokyo

おいしくて泣くときのbluetokyoのレビュー・感想・評価

おいしくて泣くとき(2025年製作の映画)
4.0
焼きうどんしかねえのかよ、と30年前の心也は思っていたことだろう。うん、わかるよ。でも、リーズナブルだし、ほら、最近、コメも高くてさ、5kg、4000円代だもんな。これで、メインメニューがカツカレーとか中華丼だったら、やばいよ。子ども食堂が続けられなくなっちゃう。30年前、1995年、この年は、いまから振り返っても大きなエポックメイキングな年だったな。いまの時代のクソな部分が、ここを起点にしているからだ。
ビンボー不良、石村は、ビンボーでいじめられるようになったのか。いままでは、不良か真面目かで分類されていたのに、ビンボーかカネ持ちかで分類されるんだ。まさに、新自由主義、自己責任社会の時代の到来だね。ビンボーは自己責任。

心也の父親が切り盛りするかざま食堂が子どもご飯を提供していることで、偽善者として糾弾されてしまうが、このことも、ビンボーは自己責任という風潮のためだ。新自由主義ってまさにクソだね。

30年前のパートが、フワフワした感じで、なのに、たとえば、心也が夕花と分かれて、坂を下るときの樹木の緑色の鮮やかさ、二人で行った海の青色の鮮やかさは強烈で印象深い。まるで、この世ではないようだ。
30年より前、日本は総中流社会だったんだよな。みんなが中流なんて、信じられない社会だけど、本当にそうだったのだ。いまから振り返れば、この世のものとも思えないよ。

子どもの貧困化が社会的に問題になり始めたのは、2000年代。子ども食堂の名前の食堂の登場は2012年(運営の開始は2008年)。そこから、子ども食堂は、加速度的に増え始め、2024年には、1万箇所を突破している。

原作はどうなっているのか知らないし、読む気もないけど、映画としては、かなりうまく作ってあると思う。最近、不眠で、こういう映画だと、寝落ちしちゃうかなと心配したけど、そんなことはなかったし、集中が切れずに最後まで見れる。
30年前パートのフワフワした幻想パート(夕花が左利き)と、冒頭、最後のリアルな現実パートに分かれていて、わかりやすい。
とくに、最後の現実パートが、すばらしい。すべては、このシーンのための序章と言っていいくらいのすばらしさ。

ここで、登場するのが、尾野真千子さん。本当に、渾身の演技だね。
焼きうどんをたどたどしい感じで食べ始めるのだけど、思わず目から涙が溢れてくる。それを自分でコントロールできない。なんで涙が出るのかわからない。そういう彼女を受け止める心也(ディーン・フジオカさん、好演)。
ディーン・フジオカ、尾野真千子の演技力を思う存分に見せ付けるパートと言ってもいい。
この苦しい30年間を万感の思いで振り返る涙。

ここで、夕花が記憶を失ったという設定が生きてくる。失われたのは、30年よりも前、総中流社会の記憶(ひま部の記憶でもいいけど)。
ただ、おいしいという味の記憶はあったんだね。このおいしさは、総中流社会を意味しているわけだ。

だけど、この苦しさは、もっとひどくなっていく。
いまは、チープフレーション(貧困者を苦しめるインフレーション。コメなどの日用品が値上がりする)が社会を襲っている。インフレなのに、デフレ対策をやっているクソな政府が、物価高をなんとかできるはずもない。
bluetokyo

bluetokyo