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不法移民
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『不法移民』に投稿された感想・評価

3.6
メキシコからアメリカへ渡る不法移民についてはアメリカ映画では結構取り上げているけれど、それらはいずれもアメリカ人からの視点で描かれているので本作のようなメキシコ人視点での不法移民のドラマははじめて見たかも。

ある事情でメキシコで働けなくなり、金を稼ぐためアメリカへ正式な手続きをせず不法な手段で入らざるを得なくなる青年の立場を通して移民の存在が掘り下げられている。彼らは現地で職を得られずやむなくアメリカに来ており、そんな人たちを取り締まるのではなく政治など根元を見直さないと問題を解決できないと本作では強く訴えられている。

主人公は真面目で気が優しく面倒見のいいナイスガイではあるが、やや短気なところがありそれで揉め事を起こしてどんどん状況を悪化させてしまうタイプ。そんな彼が悲惨な不法移民たちの境遇と彼らを搾取する白人たちに怒りを募らせ歯向かうものの、所詮法律で身分を保証されている立場ではないので彼らに抗えず逃亡するしかない状況がやるせなくなってくる。そんな彼と対比する形で同じ不法移民でありながら仕事をせずアメリカで放浪の旅を続けるコメディリリーフの男が登場し、仕事と立場の改善を求めて四苦八苦する主人公を諭していくのも味わい深い。

中盤アメリカで生まれて生活するメキシコ人女性と恋に落ちたことから己れの立場を見直してメキシコへ帰国せんと奮闘するも、結局は不法な手段で戻らざるを得なくなりなかなか上手く行かない青年と彼の到着をメキシコで待つヒロインのすれ違いメロドラマも色々な政治や国内の問題が絡んだ出来事が容赦なく襲ってきて結構ハラハラさせられた。そこに警察や移民を取り締まる警備隊などそれぞれの視点が加わることで問題の深さが見ている人に容赦なくのし掛かってくる。

ラストは甘いような気がしないでもないが、国内への希望と労働力を安く入手するため不法移民をメキシコの犯罪グループへ要請する白人への突然の仕置きといいアメリカから某大統領のごとく一方的に「お前らが不法に来るのが悪い!」と弾劾されるメキシコ人の鬱憤とせめて映画ではそれを晴らしたいという切実な祈りが感じられて胸を打たれる。

あと題材はシリアスなのにコメディリリーフの人が最後に決めてくれたので意外と後味が良かったりも。
✔️🔸『不法移民』(2.9)🔸『ロス・カイファネス』(3.3)🔸『夜の心臓』(3.3)🔸『ジョン・リード 反乱するメキシコ』(3.5)

 どこの国でも社会派とか、独立系、新感覚、とかで少し変わった畏敬の念から評価され続けてる作品のグループは、存在した、存在しているとおもう。勿論、墨国もだが、一部を除きそれ程先鋭にもならない代わりに、問題意識を事前に持って駆けつけたのではない、普通の観客もそれなりにホンワカなままに、主題の方に近づける柔軟な、創る側の国民気質みたいなものがあると思う。
 『~移民』の舞台は河を挟んだだけで、片や犯罪や麻薬の過去・今は労働者の街も食っていけないような低賃金、もう一方はTV・車をどの家庭も所有し、建築やインフラも見るからに違う、墨米が近くで向き合ってる場。今のトランプ政権下の米の意識も変わってないところ大。貧乏側はもう片方に流れようとしてるも、旅券やビザ・書類を持ち合わせず、掛かる橋を渡れず、両国間の高額費用収奪仲介者の手引きで、夜の河を米側の監視塔からの銃殺危険を潜り、不法移民として渡らなければならない。上手く渡っても、何の権利もなく、法をかい潜った悪党らの手配下、収奪と迫害、探索と逮捕危機、の米生活となる。
 親方の息子をいざこざから殺めた主人公は、その1人だが、渡河中でも、労働中でも、身近な弱い者の側に立ち・身を挺して護る気質から、事を起こし逃げ回り、荒む一方である。そんな中、書類等は完備も、労働は搾取されるだけと拒否、無銭移動で気候のいいところへ転々、旅の生活の浮浪者。墨系米人も、黒人のような団結や行動もあり得ない、仲間らの中、不安しか感じないウェイトレス。この2人と、墨系が誰もが持つも行動迄起こせない「望郷」の念の根っこ確認で心通じ、絆となり、後者と墨に帰り、カップルとしてやり直すを、前者は善意と協力を示し、紆余曲折あれど成し遂げる(前者も墨へ帰る変心へ)。その過程で、墨側に来てた米仲介者を、喧嘩で沈め、河を泳がせ、米監視兵に撃たす。墨で違法入国者として捕まるを、墨人であるを、書類でなく、声や姿勢の懸命さで判らす主人公の面構えもいいが、全体に様々に繰返される異郷の「孤独」「恐怖」感は真に浮かび上がるに至らない。
 それは造り自体に緊張感を欠くせいか。深い縦の構図も普通で立派であるが、復元のせいもあるのか、画調が妙に明るく、対象の場も、メキシコ側の酒場(様々人物像とその場、喧騒から派手な立回り俯瞰め退き中心へ)を除けば、妙に小綺麗に整頓されたセットが多い。オープンなのかも知れないが、国境の泳ぎ渡る河と書類持ってれば渡れる橋、向き合う両国の川岸と、米側の銃兵がライト当てながら環視してる搭らも、妙にスッキリし過ぎ、米側で与えられた鉄道の労働でもバックを通過する貨物列車は(その他シーンでも多用の)安手のスクリーンプロセスである。キャラはそれぞれに味わいあるが、製作環境の不全によるリアリティ欠如は致命的にも思える。構図の縦の図や仰俯瞰角度や、縦に寄るのや横や回り込むフォロー移動、カットの組合せは甘くも、標準にまぁ達してるにしても。
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 時代は下がり60年代、社会は比較上豊かになったが、階級の格差が明確になり、社会に倦怠と無意味な遊戯が染み込んできてる時代の『ロス~』。日本の戦後再開日活初期の大江原作ものみたいで、上流階級の濃密な歪みから瞬間逃れた男女が、風流に知恵とセンスあり、これも労働者階級の狭さから外れた一群と合流、棺遊び、多風船持ち白塗り女ら、城崩れからの街、サツから逃亡バラけ再合流、朝の食事、らを通じ、人生、運命、熱気と弱さ、異物間格闘や揉み合い、死の一瞬体験、恋と嫉妬、階級差と節度、らを瞬く潜る体験をし、解放と限界を身体に染み入らしてく、ハイセンスな作で、色彩各キャラ角度変カット出入りL移動の組立がまろやかでスマート品位を保ち、慌ただしい短カット積みもあり、全体にトボけてもいて、オリンピックや仏五月革命前年のエアポケットらしい、宙ぶらりん足元浮遊定まらず感。持ち物やメイクで象徴的人物もシーンに介入・挟まってもきて、剥き出しゴツゴツ感は避けてる。上流の女は学び、同階級は、同感覚を意味しないを学んでく。
 『~移民』と違い、題材と手法が一体こなれ、進化してて滑らかな魅惑・誘惑が冷めてあるが、新しい何か開拓の野心があるわけでも。しかし、センスは心地よくかき乱してはくれる。
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 時代は更に大きく下り、今回も高潔で艶があり都度適宜選択眼の冴える、これも圧巻のフィゲロアカメラの『夜の~』。状況とマッチのカメラアイと音響で押してくも、敢えてか説明不足か、間抜けな行動作を、引き締め不安を一体的に固め自在に伸ばしてく、昼間やL俯瞰や仰角や茶の集まり・青夜の沈み包みと赤の抜けらで過不足なく、出口有る無しの不思議かつ確定された世界を90°の関係や繋がりで表しきり、それに変化も加えてく。視界の切返し、進んでは突き当たる通路直角迂回、が世界の原理となり、微細や急なズームが加わる。左右へのパンや移動往き来と回り込み、格闘らへの手持ち揺れフィット、並行二群フォロー切返しらの適宜をきっしり締めてる。 
 車の教習所の教官の若者が、初老の盲人と若い聾唖の娘の不思議なカップルに惹かれ、近づいて行く。経営してるマッサージの客となったり、彼が率いる「手足が欠けてたり目や耳が不自由でも、努力怠らず健常者のそれを上回りもする」人たちの集会にも紛れ込む。彼の住みかを訪ねると、彼のブラインドをつき女が誘惑してくる。深い肉体関係となり、突き止めた彼と揉み合ううちに彼は転落死。リーダーを失った集団に追われるが、カツラを着けた女装男らにも匿われ、巫女的にブラッシュアップした聾唖の彼女の威光もあり助かる。別れを伝えられるが、自ら目を抉り、仲間に生まれ変わる。
 惹かれ方や逃げ方は色々解せずトンマでもあるが、若い2人のヌードでの行動力の発散と、撮影と美術ロケの不思議な統制力が溶け合い、現代と中世の街の両面が深く一体化してる作品になってる。カラックス的と言えるか。
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 これまでの社会派・風俗批評派も、所詮は大手スタジオ製作。60年代末から70年代初めの、アマ的でスタジオ係わり少、外部支援などの母体、の映画に則してて、益々この異国の映画史に日本人の私が近づく、歓びが増してくるを感ず『ジョン~』もエントリーに出てくる。映画の出来のいい悪いからのかなり脱却を助けられた、手応えとして無意識つよい世界からの伝わり感が貴重。Jリードのロシアに渡る前、メキシコ革命の報道記者として、メインには革命軍側に従軍してた1910年代前半の作。スタジオ主導の作ではなく、制作費やスケールは限られてるので、時代考証はある程度正しいにしても、不自由な狭さは否めない。その分、当時の世界風潮をナマに呼吸してる自由な思考の姿勢が曇りなく出てくる。スタジオの先ず商業的成功をの作とは違う。ここでのリードは常にはっきりせず、記者の使命の、何かに染まってない報道の広範な伝播のモデルに沿う事より、何かに傾いても、自己の偽りない姿勢を、政治的偏りを気にせず打ち出す、欲求の制止できない頭のもたげに煩悶に苦しみ続ける。映画外の要因による既定路線ては全く異質で、この作に映画的滑らかさ・快感・豊かさを求めるのは場違い。主人公は、兵士らと、また同業の従軍記者らと、客観性を捨てて語り合う。
 基本のタッチはスクエアで飾りなく、フォロー、90°変、寄りと退き切替え、どんでんらが、丁寧にストイックに呼吸置かず、刻み捉えてく。戦闘と移動と休息を。やがて灯ともカメラも、只走る、只茫然、只切返し語り合う、ところに入ってゆく。ラストはコミットを決意した主人公の町の建物の窓を手で叩き割るを、内から捉えたストップモーション。そして猛烈な斜めめの荒れ車窓移動図。
 「我々は、同志であり兄弟」「米国の進攻は、人類公益の為と言うが」「米国人記者は、広くへ伝え、革命理解を深める、に徹すべき」「革命派の闘い参加へ」「客観に徹するなら相手軍派へ」「連邦軍とは」「6年後亡くなるまでに、ロシアら各国革命に強く参画し、集会召集、共産…党初結成」
 スタジオのぬるい作だけでなく、この種の独立系の存在と、紹介は真の力強さに繋がる。天才ガメスにも繋がる一方の旗頭、線の細さに見えがちの、純白まま感の毅然存在が頼もしい。この映画界は狭くない。






     直後感
■『ジ』。「同志兄弟」「革命派、闘い参加は、記者、米人、広く伝え革命を深める」「客観的なら相手派」「連邦軍、派」「米進行、人類公益の為に」
fo.90.寄り退き、丹念、スタジオ無し、アマ的。只走る、只呆然、只切返し話し合う。ラストはウィンドー手でわるを内からstpp.そしてモウレツ斜め荒れ車窓「6年後死、ロシアら各国革命へ、集会や共産~党初結成」
■『夜』。傷や短さ、森本ひろ子、92/23、3.94。
これもフィゲロア、90°の視線交わしやうごき突き当たり、縦図二方向フォローや手持ち荒れ、急なズームの行き戻し、茶や青夜沈みや原色締まり、L俯瞰多や仰も、左右ヨコヘから回る。
脚腕なしや目耳だめも努力で健常者より見えてる、指導者後継者、マッサージ師と教習所教官、仲間に、何故こっそり見る追う、恋人も別れへ、坊主性も変人、逃げてて余計に直す。
メキシコ移民の話でめちゃくちゃタイムリーだが1955年製作らしい。やたらと画面奥までピントがあっており、アメリカンダイナーの窓の外の使い方なぞはなかなか良かったが全体的に何故そこにカメラを置いた?と疑問を呈したくなるショットが多めだ。