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シックス・センスのKuutaのレビュー・感想・評価

シックス・センス(1999年製作の映画)
3.7
・「OLD」においてフラッシュバックが物語の秩序を回復させたのと同様、今作のマルコム(ブルース・ウィリス)もまた、フラッシュバックによって自らの存在理由を知る。

→過去に遡って「世界のあるべき姿」を取り戻すシャマラン的物語。コール(ハーレイ・ジョエル・オスメント)と母(トニ・コレット)の和解は、祖母の記憶を「思い出す」ことによって為されるし、マルコムの妻は何かの答えを求め、毎晩結婚式のビデオを見続けているし、少女の訴えも古いビデオの中に潜んでいる。

→冒頭のヴィンセントのシーンから明らかだが、この映画のゴールは誰にも救われなかった人、見向きもされなかった人の救済にあり、誰かの傷が、他の誰かの傷を癒すという展開を辿っていく。だからこそ何度でもビデオを見返し、そこに眠っている叫びを見出そうとする。傷付いた人に対する真摯な態度こそが、シャマランの描く愛の本質だ。

・演劇、人形に語らせる事=フィクションによる救済。コインを使った手品、最初から右手にしかコインは無いが、左手に移ったと信じて実践するマルコムとコール。初対面の場面、2人は通りを隔てて分離しているが、教会で一つになり、人形を介して話す。

・考え抜かれた撮影。2点挙げたい。
①あの世とこの世を隔てるガラスの使い方。
特に良かったのがコールと母の和解シーン。会話は車の窓枠(フレーム内フレーム)内でスタートするが、そこにガラスは無く、カメラは生身の両者を捉える。車外にはガラスを隔てて交通事故の死者。カメラが車内に入り、カットバックが開始。それぞれ単独ショットのため当初は関係が断ち切れているものの、会話によって近づいていき、最後は母親の画角にコールが入り込んで抱き合う。
・ヴィンセントはガラスを突き破ってマルコムの家に侵入する。マルコムはガラス越しに妻を見る。

② 主観と客観が入り混じる撮影。
・誰目線だか分からないカメラの置き方。会話の切り返しなのに片方が主観だったり、コール1人を撮っているのに不自然に余白を取ることで死者の存在を示したり。コールが繰り返す「そんな風に見ないでくれ」。

(視点の置き方=フレーミングこそがこの映画の肝。冒頭でマルコムは自分の表彰状を見ながら「枠が良いね」と言う)

・学校で首吊り死体が映り込むシーン。マルコム、コール視点の後に死者側からの切り返しが入る。「首吊り視点で」2人を見つめる不思議なショット。この時も2人はドア枠によるフレーム内フレームに入る。
・母親が隣の部屋からキッチンに戻ると全部の棚が空いているびっくりシーン。ワンカットで時空が歪んだように見える。

・画面には赤ばかり。螺旋階段の真ん中を赤い風船がふわっーと上がっていく。

・ゲロ吐いてる少女のシーン、テントのボタンが一個ずつ開いて…という演出の溜めが素晴らしい(高橋ヨシキ氏は「歌舞伎みたいなゲロ」と褒めていた)。吐くだけ吐いて怖がらせた後、「だいぶ気分が良くなったわ」と平然と言うのにも和んだ。
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