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La grazia(原題)
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『La grazia(原題)』に投稿された感想・評価

Omizu
2.0
【第82回ヴェネツィア映画祭 男優賞】
『グレート・ビューティー 追憶のローマ』パオロ・ソレンティーノ監督の新作。ヴェネツィア映画祭コンペに出品され、オープニング作品としても上映された。

つまらない。尊厳死など内容云々以前に脚本がつまらなすぎる。トニ・セルヴィッロ演じるイタリア首相が悶々と一人悩み続けるだけでカタルシスが生じない。

まぁそもそもソレンティーノにカタルシスを期待してはいけないのだけど。映像美で持って行く作家だが、その面でも今回は不発ではないかな。

セルヴィッロの演技はいつも通りいいのだが、正直もう違う人に渡して欲しかった。

安楽死、罪への赦しというテーマが単なる背景になってしまっていて切実さが伝わってこない。

映像面でも物語としてもつまらない。ソレンティーノはそもそも合わない作家だったが、ワーストを更新した。駄作とは言わないが凡作という域に留まってしまっているのが残念。
[イタリア、"我らの日々は誰のもの?] 60点

2025年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。パオロ・ソレンティーノ長編11作目。ジュリオ・アンドレオッティやシルヴィオ・ベルルスコーニなど実在のイタリア首相を描いてきたソレンティーノが、今回は架空の大統領を描いている。『イル・ディーヴォ』『LORO』(特に第一部)はアッパーな作品だったが、本作品は枯れ木を眺めるような静かな作品である。7年の任期の最後の半年となったマリアーノ・デ・サンティス大統領は、最後の身支度をしている。大きなトピックは二つ、安楽死を認める法案への署名、大学時代からの友人である法務大臣ウーゴ・ロマーニが推薦する二人の恩赦である。しかし、その頑固さと慎重すぎる性格から"鉄筋コンクリート"と揶揄されていた彼は、過去は重荷で未来は虚無と看破されるほどに弱弱しくなり、本人が必要とされる職務以外は優秀な法律家である娘フォロテアに丸投げしている。そして、8年前に亡くなった妻オーロラの幻影を追いかけ、40年前の彼女の不倫?について悩み続けている。『LORO』第二部にも似て(あまり記憶にないけど)、大統領を描いているとは思えないほど登場人物が少なく内輪の話だが、告解する相手がローマ教皇だったり、暮らしている邸宅が無駄にデカかったり、規模感だけは大きいのが不思議。恩赦を求められる二人、アルツハイマーの妻を殺した老教師とDV夫をめった刺しにした妻は、それぞれマリアーノとドロテアを表しているものと思われるが、変化を拒み続けたマリアーノの変化と彼らに対する恩赦可否をシンクロさせるのは流石に記号化しすぎなんじゃないか。大好きな妻のいない年月とほぼ同じ期間過ごしたがらんどうな大統領邸の風景は非常に良かったが、それ以外の点で主人公を大統領にする必要性は特に感じられなかった。政治家の人間的側面を描くのは良いが、それは政治的側面を無視して良いということではないのではないか。ただ、私がどちらかと言えば娘目線で見ているせいで、主人公の悩みを理解しきれていない部分はあると思われる。
2.5
【妻の不倫の謎が死から生の生から死を決める】
動画版▼
https://www.youtube.com/watch?v=P9ahWwnLspo

パオロ・ソレンティーノの政治劇はパブロ・ラライン同様、地位が高い者のわかり得ない孤独を捉えている。パブロ・ララインと異なる点は単なる男女の差だけでなく、社会との距離感にある。ソレンティーノの作品では大衆の存在は完全に分離されている。領域の外側に追いやられているのである。故に、おじさんよしよし映画の側面が強く臭みを抱くわけだ。第82回ヴェネツィア国際映画祭でトニ・セルヴィッロが男優賞を受賞した『La grazia』もまた、その系譜の一本であったが、問題点込みで興味深く鑑賞した。

セルジオ・マッタレッラ元イタリア大統領が殺人で有罪判決を受けたもののアルツハイマーを患った男に対して恩赦を与えた話からインスピレーションを受けた本作は2つの決断を宙吊りにする存在にしょうもなさがあり、それ故の問題作となっている。任期終了直前のマリアノ・デ・サンティス大統領は頑固故「Cemento Armato(鉄筋コンクリート)」と呼ばれている。右腕たちに仕事を任せ、黄昏に生きている。

そんな彼の最期の仕事として、恩赦を与えるかといった決断と安楽死を合法化する法律を制定する決断がある。要するに死から生の決断と生から死の決断という正反対の仕事を同時に行う必要があるのだ。そんな彼の決断を鈍らせるノイズとして、かつての妻が不倫をしていたかもしれない疑惑である。教皇や側近たちとの議論以上にノイズとなる過去。果たして彼は決断できるのだろうか?

映画は荘厳でゆったりとしたペース、時には過剰なまでにスローモーションな運動の中でEDMを流し込む独特な演出をしている。これは決断できない人の脳内リソースがノイズで埋め尽くされてしまっていることを象徴している。一見すると冷静を保って頑固おやじとして前進できていない状況もあるがままにさせているように思えて、脳内では脳汁がドバドバ出ているあの感覚を表現している点は評価できる。

一方で昨今、ヨーロッパ映画で作られる傾向がある安楽死を題材とした作品にありがちだが、問題の本質に迫っておらず究極の選択といった記号として安楽死を消費してしまっている印象を受ける。児玉真美 「安楽死が合法の国で起こっていること」を読む限り、安楽死の制度は同調圧力などによって自分の意志以外のところで死がもたらされてしまう致命的な問題を有しているとのこと。だが、ヨーロッパ映画はそういったところに踏み込んでおらず、あたかも自分の意志決定の物語の要素として組み込んでしまっている傾向がある。本作も案の定、記号的に安楽死を使用していたのでよくないと感じた。