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A pied d'oeuvre(原題)
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『A pied d'oeuvre(原題)』に投稿された感想・評価

Omizu
2.3
【第82回ヴェネツィア映画祭 脚本賞】
『わたしたちの宣戦布告』ヴァレリー・ドンゼッリ監督の新作。ヴェネツィア映画祭コンペに出品され脚本賞を受賞した。フランク・コルテスの自伝的小説を映画化した作品。

手数が多く嫌気がさした『わたしたちの宣戦布告』とは打って変わって静かで淡々とした作品。90分という短い尺はいいが結局何が言いたい映画だったのか分からない。

タイミー的な日雇い労働で暮らす写真家の男は作家になることを夢見ているが…

ドンゼッリの毒っ気は鳴りを潜め、ひたすら男の生活を追いかけることに徹している。それ自体は悪いことではないが、展開がいささか散漫で退屈に思えてくる。

最終的には本を書き上げ家族とも和解するのだが、そのメッセージがよく分からない。労働が本を書き上げる意欲になる、ということだろうか。でもそんなこと言われなくてもそうだろうことは明らかだし凡庸すぎる。

どこに脚本賞を与える要素があったのだろう。展開もつまらないしメッセージも凡庸。腰を落ち着けたドンゼッリの作風の変化は興味深いが、映画としてはつまらない。
[趣味/やりたいことと地獄の労働について] 60点

2025年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。ヴァレリー・ドンゼッリ長編七作目。クランク・クールテによる同名小説の映画化作品。成功した写真家だったポールは全てを捨てて小説家に転身したが、三冊目の本を出した今でも全く売れていない。妻は子供たちを連れてモントリオールへ去り、眺めのいい自宅も自身のカメラも手放してマンションの半地下の部屋に入り、ギグワークで日銭を稼ぎながら空いた時間で小説を書き進めていく生活を送ることになる。このギグワークはJobbingというアプリを使用するのだが、依頼者が提示した金額から労働者側が低い金額を提示していき、一番低価格を入札した人がその仕事を得るという、ひたすら自分を安売りしないと仕事にありつけない地獄仕様になっており、中盤以降はとにかく体調が悪そう。おそらくこの世の全ての人間が、仕事なんか辞めて好きなことだけして生きていきたいと願っていると固く信じて疑わないが、本作品は現代社会においてその素地がない状態で行うと地獄を見るということを端的に指摘している。宣言通り空き時間には小説を書き進めているようだが、途中からそんな描写もなくなり、執筆の隙間時間にバイトしてるのかバイトの隙間時間に執筆してるのか分からない状態に陥る。父親や姉、元妻や子供たちは定職を手放したポールを馬鹿にしているが、自分のやりたいことで金まで手に入れば一石二鳥なので、個人的にはポールの行動は非常に理解できるものではある。一番グロテスクだったのは、仕事の依頼主も作家で昼間から日当たりの良い広いマンションの一室で執筆作業をし、その傍らでポールはベランダに這いつくばって植木鉢から枯れかけの木を引っこ抜く作業を延々とやらされるシーンだ。本来彼が目指していたのはそういう姿だったのではないか。ただ、彼が写真家を辞めて作家になりたいというのは理解できるんだが、ギグワークに拘っている理由はよく分からない。そもそも、彼が暮らしている半地下の部屋は父親の友人経由で借りている部屋だし、彼が個人タクシーとして仕事を受けるのはその友人の車なので、家賃だけ実家から仕送りを受ける大学生みたいな謎の余裕が生まれている。確かに地獄の労働の話ではあるが、ケン・ローチやステファヌ・ブリゼの労働者映画における労働者階級の苦悩とは別の階層のものに感じられる。結果的にこの労働の経験が彼をベストセラー作家にしたわけだが、ケン・ローチやステファヌ・ブリゼの映画の主人公たちは出版社に門前払いされるだろうからなあ…
3.0
【好きなことで生きるは呪いとなる】
動画版▼
https://www.youtube.com/watch?v=3rD8HlcGSlE

第82回ヴェネツィア国際映画祭にて出品されたヴァレリー・ドンゼッリ監督新作。写真家であり作家のフランク・クールテーの自伝を映画化した作品となっている。これはフランスの作家の話に留まらず、日本のライターやYouTuberでも当てはまるような内容で胸が締め付けられる生々しさがあった。

フランク・クールテーは、元々ポートレートを専門とする写真家として活動していたのだが、次第に作家業に専念するようになり遂には写真家としての活動を休止してしまう。その経緯は2018年の「La dernière photo(最後の写真)」で語られている。彼は2013年の短編集「Autorisation de pratiquer la course à pied(ランニング練習許可)」でフランス文学者協会賞(SGDL)から賞をもらうも、それ以降は収入が減り続けて最終的にギグ・ワークで食いつなぐこととなる。2023年にその一連の流れを「À pied d’œuvre(仕事中)」に収めた。

この経歴だけ見ても胃がヒリヒリするものがある。要は「好きなことして生きる」をモットーに今の地位を捨ててキャリアチェンジに全ベットするのだが上手く行かず、その経験を消費したまたま書籍化/映画化されたって人生なのだから。2016年頃にヒカキンやはじめしゃちょーが「好きなことして生きる」と語り、2020年代にはVTuberがブレイクスルーを起こしてYouTubeを始める人は増えたが、その多くは数年で消えていった。私は会社員をしながら映画ライターをしているが、身の回りで大変そうなフリーランスライターを見てきている。昨今国際映画祭では《ギグエコノミー問題》をテーマにした作品が制作される傾向にあるが、自分の話のように胃が痛くなってきた。

本作は、正直ステファヌ・ブリゼが撮るような労働問題映画やギグエコノミーを扱った『L’histoire de Souleymane』と比べると困窮のレベルが生温いのと、結局この労働があってそこそこ成功しているため映画としては微妙なのかもしれない。ただ、ギグエコノミーにおける構造的ダンピングに巻き込まれて低賃金で心身すり減らしていく中で、彼のクリエイターとしてのイメージをフィルムのようなざらつきある映像で表現し、脳内だけにあるイメージと現実とのイメージのバランスを崩していくアプローチは興味深い。特に、黒人の労働者が店に入ってくる様に眼差しを向ける際の突然、そして無理矢理《映画》のような質感になる様が強烈で、「俺は絶対に目の前の経験を創作に活かしたる」といった魂が滾っていた。私自身、仕事中にブルシット・ジョブや理不尽な目に遭った際にはシネマティックモードで現状を捉え、いつか文章にしてやると思って困難を乗り越えているので共感した。

それにしてもフランク・クールテーは成功した作品のタイトルに含まれている「à pied(徒歩で)」を擦るような形で「À pied d’œuvre」とタイトルをつけているのが面白いなと思う。「À pied d’œuvre」自体は《仕事中》という熟語なのだが、「À pied(徒歩で)」に「œuvre」という芸術作品と労働を含んだ単語を繋げている熟語を見つけてきてタイトルにしている点、コンセプトとして強固に思えた。