大学に入学してからしばらく
チャップリンの映画ばかりを
まとめて見ていた時期がありました。
この名作も当然見ていましたが
久しぶりに見ることになり
覚えていることいないこと
色々と考えることもありました。
本作のクライマックスの演説は
最も有名なシーンであり
そのメッセージは現在でも
通じる普遍性を持っていると思います。
しかしあの演説の後
観衆から大声援が飛びますが
現実にあれだと大非難の声に
あの場はなるはずです。
あれは心の声か、チャップリンの願いか。
人間性、自由、人生の喜び、思いやりなどは
チャップリンがさまざまな作品で
訴えていたことですが
あれから何十年も経ち
これだけテクノロジーや知識が発達、
流布しているのにもかかわらず
人間性豊かな世界へなかなか
近づいていかないと感じるのは
かなりやばいと思う限りです。
チャップリンが懸念していたことへの
メッセージは演説にあり
それをするための映画だと思いますが
これを単なる反ナチのプロパガンダに
してしまうとナチとやり方が同じに
なってしまうだろうし
映画制作の資金や上映に支障が
出てしまったのではないでしょうか。
だから映画は皮肉を上手く盛り込みながら
チャップリンの喜劇として求められる
ドタバタを詰め込んで
隠れ蓑にしているような印象があります。
なので今回見直してみると
全体の流れがスムーズでない感じがしました。
面白いなと思ったのは
この映画の後を想像することです。
収容所に連れて行かれた独裁者のその後
演説をした理髪店の男のその後。
どう想像するかというのも
観る人に委ねられているし
どうなって欲しいかとか
色々と余韻があるなと思いました。
久しぶりに見直すと画質も綺麗に
リストアされていて
改めてチャップリンの凄みを感じました。
これからも世界では危機が迫る時が
すぐそばにあると思いますが
自分の血を流さない武器を使って
戦うことができるアーティスト、
クリエイターがどれだけいるだろうか。