SANKOU

独裁者のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

独裁者(1940年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

偉大なコメディアンは悲劇の中にも笑いを生み出す。
これはチャップリンの天才的な身体表現があってこそ成り立つ作品だと思った。
驚くべきはこれは戦後に作られた映画ではないということだ。
まさにナチズムが、ファシズムが世界に影を落とそうというその時に、抗議のメッセージを込めて作られた映画なのだ。
ナチスによるユダヤ人迫害を笑いに変えられるのはチャップリンだけだと思った。
チャップリンが平凡なユダヤ人の床屋と、独裁国家の総統ヒンケルという対称的なキャラクターを一人二役で演じたのも印象的だ。
出鱈目なドイツ語を捲し立てるヒンケルには明らかにヒトラーが投影されているのだが、彼の姿はデフォルメされているようで実は核心をついていると思った。
コンプレックスの塊で、神経質で、臆病な男が精一杯虚勢を張った姿、それがまさにヒトラーの正体なのではないか。
権力を持ちながらも不安と恐怖に怯えるヒンケルに対し、弱い存在であるはずの床屋は震えながらも力で押さえつけようとする者に勇敢に立ち向かう。
どんなに無様でもその姿は勇ましい。
一人では何も出来ないくせに、徒党を組んでユダヤ人街を荒らし回る警備隊の男たちは人間の弱さの象徴だ。
痛烈な戦争批判をしながらもコテコテのギャグは満載。
チャップリンの演技力も凄いが、脇を固めるジャック・オーキーやビリー・ギルバートも素晴らしく、チャップリンとの掛け合いは見事と言う他ない。
チャップリンはサイレント映画の申し子だと思っていたが、当然トーキーでもその表現力は存分に発揮される。
そしてこの映画はトーキーだからこそ説得力があると思った。
ラストのスピーチの言葉はどれも重要で、これは床屋の口を通して語られるチャップリンの本音である。
ヒンケルが前半のスピーチの場面でヒステリックに喚き立てたことで、より床屋の訥々としたところから始まるスピーチが印象的になったと思う。
失意に沈む人々に語りかけるチャップリンの言葉。
機械よりも大切なのは人類愛だ。賢さよりも、優しさと思いやりが必要なのだ。
人生は自由で美しい。
今こそ世界はひとつになるべきだと投げ掛けた彼の言葉は、今なお実現されていないが、今を生きる人間にも突き刺さる深い言葉だと思った。
ラストのポーレット・ゴダード演じるハンナの表情が、明日への希望を表しているようで印象に残った。
SANKOU

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