2023年8月。
ウィリアム・フリードキン監督逝去。
同監督は、有名な『エクソシスト』や『フレンチコネクション』の他に、ゲイの世界を描いた『真夜中のパーティー』という作品を発表している。
『真夜中のパーティー』は綿密に計算された舞台劇の構成を踏襲したゲイたちによる優れた人間ドラマになっていましたが、本作は同じくゲイ風俗をテーマにしながらも趣は180度違っていて、こちらはハードゲイの世界が舞台になります。
ハドソン川に切り取られた腕が浮かぶシーンから始まる本作。
猟奇的な殺人が連続するニューヨークが舞台です。
この事件をゲイ関係の人間による犯行だと見た警察は、新米刑事のスティーヴ(アル・パチーノ)に彼らがたむろするクリストファー・ストリートに潜入捜査を命じる。
スティーヴは変名で、ハードな行為が行われているゲイバーに出入りするうちに犯人に近づいていくが、次第に彼自身が・・・
このゲイバーでのシーンがとても強烈で、異様なムードと迫力に観客は目を奪われていくと思うのですが、もちろんそこはすごいのですけど、本当の見どころは主人公が次第に向こうの世界に入り込んでいく心理サスペンスの部分だと思います。
それはまるで、『地獄の黙示録』(1979)で狂気の指導者カーツ大佐を暗殺する任務を帯びていたウィラード大尉が狂気に呑まれていき『闇の奥』に引き込まれていく様に似ています。
スティーヴは任務を進めるうちに向こう側に堕ちるのを予感して恐怖に慄くのですが、一線を超えた彼の目つきはまるで変ってしまいます。
アル・パチーノの表情の変化が静かに熱いです。
ラストの肩透かし的なオチが、『フレンチコネクション』ほど鮮やかに決まらなかったのが残念ですが、ラズベリー賞にノミネートされるような駄作ではないと思います。
ハードゲイ=奇異なものという風に見過ぎだというヒステリックな意見に惑わされずに鑑賞出来れば、その風俗描写も受け入れることができると思います。
なぜ、フリードキン監督がこれを題材にしたのかも。
『エクソシスト』(1973)のラストでもちょっとはにかむようなシーン(実はとても大事なシーン)を入れたりするフリードキン監督は、実はとてもシャイな監督だったのではないかと推測するのであります。
心理描写を描きたいのに、照れ屋なので刺激的なシーンを多く用意して真髄を悟られたくないような。
そんな照れを感じてしまう監督さんなのでした。
突然現れる半裸マッチョに主人公がビンタされるシーンもその照れの表現なのでしょう。