デニロ

その男を逃すなのデニロのレビュー・感想・評価

その男を逃すな(1951年製作の映画)
3.5
1951年製作。原作サム・ロス。脚色ガイ・エンドール。監督ジョン・ベリー。赤狩り、なんていう蔑視的な恐ろしい日本語はどこのどなたが編み出したんだろう。アメリカ合衆国ではマッカーシー上院議員と下院の非米活動委員会がその中心となって、迫りくる共産主義の恐怖とやらを煽って共産党員、そのシンパを排除するという活動をしている。『ボディスナッチャー/恐怖の街』みたいな、市民が得体の知れないものに乗っ取られて別の人間に変わっていく様を描きながら、奴らはそこだ、次は君だ、君の番だと警鐘を鳴らしているのか、あるいはその逆で、そんなことを叫ぶ奴らの排他性を指弾しているのか、そんな作品がその頃作られていた。主演のジョン・ガーフィールドはそんな赤狩りの標的となって職を失い死ぬ。配偶者が共産党員で、当局は、ガーフィールドの金が共産党に流れているんじゃないかと、そんな風にかんがえて、配偶者よりインパクトのある彼を的にしたということだったようだ。本作が彼の遺作となる。監督のジョン・ベリーも下院非米活動委員会で同業者のエドワード・ドミトリクに共産主義者と名指しされ、本作を最後にアメリカでの仕事場を失いフランスに行く。

本作は、意志薄弱、自分のかんがえを強く持てずに、他者の意見に影響されやすい男ジョン・ガーフィールド。母親と暮らしているが愛情にあふれた感情の行き交いはない。悪友に誘われるままに給料強奪を決行するが警察官が現場にいて計画が狂う。銃撃戦になってしまい、悪友は撃たれ、ジョン・ガーフィールド/ニックも警官に応戦し射殺してしまう。

市営プールに逃げ込むとそこでシェリー・ウィンタース/ペグに出会う。彼女を隠れ蓑に警官の追跡をかわそうと纏わりつくのです。巧言令色鮮し仁。言葉巧みに彼女を家まで送り届けなんと家にまで入り込む。彼女の家族は映画を観に行くというので送出し、しばらくこの部屋で追手をかわそうと算段する。ここまではありふれた話なんですが。

家族が映画から帰ってくると、階下で何者かと話をしている姿にニックが鋭く感応する。警官と話しているに違いない、猜疑心が炸裂してペグの言葉はもう耳に入らない。戻ってきた家族ともども監禁して、夜の明けるのを待つ。朝になり逃走しようとするのだが、目にした新聞で自分の身元が割れているとど勘違いして立て籠ることにする。/お前たちは外に出るな。/却って不審に思われるわ。/じ、じゃあ、普段通りに勤めに出ろ、下手なことをすると母親と弟のためにならないぞ。/と言うわけで、父娘は外に出て行くのです。意志薄弱の面目躍如?です。

ペグはどうやらニックに好意を抱いてしまったようですが、ニックの気持ちはわかりません。でもニックは彼女の行為を利用しようとするのか、一緒に逃げようと誘い、何とペグはそれに応えるのです。じゃ、逃走用の車を買ってこい、とニックはペグに金を渡します。ペグがその金を受け取って外に出て行く姿を見て両親は少し安心するのですが、ペグが、ライトが故障しているから車は一時間後に運んでもらうことにした、と言いながら戻ってくると、え、何で戻って来たの、本当にこ奴と出て行くのか、と驚き慄いた父親は外に出て行くのでした。こんなに自由にさせておいていいんでしょうかニックさん。

車はなかなか届かない。焦るニック。またまた猜疑のこころに支配される。そんな時サイレンが鳴り、その怒りは沸点に達する。拳銃をペグに突きつける。裏切られた。もはや誰も信じることは出来ない。ペグを人質にして逃げようと外に出ると。

ラスト。ペグが頼んでいた車が届いたのですがすべては後の祭り。ニックは、人を信じることのできなかった自らを呪うのでした。

共産主義運動とは関係なさそうだけど、ペグの裏切りは製作者たちの裏側にある悲しみなのでしょうか。あ、悲しみと言えば、ペグの母親がミシン掛けをしながらニックと話していると指が滑ってミシン針で指を刺してしまうシーンに、幼き頃のわたしの指に刺さったミシン針を思い出した。今でもその痕が青く残っています。あの時、何で刺さったんだろう。

シネマヴェーラ渋谷 Film Gris 赤狩り時代のフィルム・ノワール にて
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