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アカルイミライのJAmmyWAngのネタバレレビュー・内容・結末

アカルイミライ(2002年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

黒沢清の作品にしては、かなりストレートなメッセージ性が全体を貫いている印象で、もう僕は肩の力を抜いて素直に泣きました。

クラゲを真水に慣らしていく試みは、オダギリジョーにとっては生き辛いこの現実を、何とか生きよう/生きさせようとしていく想いに他ならないと僕は思います。

増殖したクラゲが一斉に発光する美しさに重ね合わせて、オダギリジョーも同類の仲間と歓喜を爆発させるのだけれど、しかしクラゲは毒を持っている。結局そうした本能性は社会にとっては害悪でしかなくて、悲しいけれど真っ当な現実によって駆除される運命にある。

過剰にピュアな存在がこの厳しい現実から逃亡すれば、行き着く先は夢か刑務所かというとても遣り切れない世界の中で、追い詰められて逃げ惑うオダギリジョーはようやく居場所を発見するワケです。

それは藤竜也という寂れた男の薄汚い現実に他ならないのだけれど、その中で毒とも成りうる人間のピュアネスが、抱擁によって全面的に許されていく瞬間のなんと暖かいことかと思う。何故ならそうした毒と表裏一体の純粋性は、大なり小なり人は誰しも備えている性質だと思うから。

そうしてオダギリジョーは現実の中にリアルな生を見いだしたけれど、あの時の仲間たちは相変わらず現実から浮游して、無目的性の中で時間と暇を持て余している。

ラストシーン、クラゲは海へ向かっていったけど、彼らは段ボールを蹴飛ばしながらどこへ行くのだろう。分からないけど、可能性は大海原のように広がっていて、歩いていくミライは何となくアカルイ。

もうハッキリ言ってこんなん泣くしかないのですけれども、この黒沢清という人は、この何年か後に製作された『叫』において、今度はその「未来」が崩壊する切なさを描いてしまうというのだからスゴイ。

要するに未来が明るくても、未来が崩れ去っても結局私は泣かされている。私は黒沢清という人間によって、最早未来が何をしても否応なく感じてしまう、下品で淫らな身体にさせられてしまったのかもしれない。
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