義民伝兵衛と蝉時雨

鉄砲玉の美学の義民伝兵衛と蝉時雨のネタバレレビュー・内容・結末

鉄砲玉の美学(1973年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

中島貞夫監督×ATG×渡瀬恒彦×頭脳警察。この面々で面白くない訳がない。もし仮にこの四つのピースの内どれか一つが欠けていたとしても絶対に面白いはず。それぐらい面白い面々で描かれたヤクザ映画だと思う。

ヤクザ映画としては珍しくラストまで登場人物が一人も死なない。それどころか、銃の引き金を引けるか引けないかという青年の葛藤が一つの見どころとなっているので、銃自体は何度も画面に出てくるが弾はラストまで一発も発射されない。

「何者か」に成りたいが成りきれない青年の苦悩が描かれている。銃の引き金を引いたその先にある「何者か」=この青年が憧れる権力を持った強い男という「理想の自分像」。しかし人の命を最も簡単に奪ってしまうこの凶器の引き金は当然ながら重くて重くてしょうがない。逆に銃と一緒に手に入れた大金の方を使って豪遊しておごり高ぶってみるも、心の中にある劣等感や虚しさは相変わらず一向に解消されない。『昔と変わらなくて安心した』という元カノの何気ない悪気のない一言にも劣等感が刺激され爆発する。そこには任侠映画の主人公のような理想的なヒーロー像は無い。愛おしいほどに人間臭くてリアル。従来描き続けられてきた任侠映画の理想的なヒーロー像を徹底的にぶち壊した「仁義なき戦い」が撮られる前年にこれが撮られていたというのだから凄い。流石はATG作品。「鉄砲玉」=「ヤクザの使いっ走り」が見る理想と現実。「何者か」=「理想の自分像」に成りたいが一向に成ることの出来ない青年の葛藤と悲哀。敵対するヤクザの組の「使いっ走り」にも自分の姿を垣間見る。劣等感から抜け出せずに現実から目を背けようと必死になるが、徹頭徹尾自分自身からは逃げることが出来ないし自分以外の「何者か」になど成ることが出来ないのがこの世の宿命。
本作の伝えたいこととは、詰まるところは自分自身に備わった個性を如何に愛し誇れるかということだろう。それが如何に理想とはかけ離れていたとしても。「隣の芝生は青い」というような迷妄から脱却し、自分自身の個性を如何に昇華することが出来るか。そしてその更に先にある、自分自身を愛するとか憎むとかの概念さえをも超えた自意識に囚われない境地に辿り着くことが出来るか。そこに辿り着いた時にようやく自分自身の宿命から解放されて、自我に振り回されることなく自分自身の一切の物事にも気を取られることがなく自意識から解放された状態で、目の前にある光景をただひたすら純粋に直観し目の前にある光景があるがままの姿で見えてくるのであろう。

本作の内容を悲観的で夢が無いと捉える人もいそうだけど、ファンタジーで塗り固められた商業ヤクザ映画が大量生産された時代に、商業ヤクザ映画とは一線を画すこの芸術的ヤクザ映画が世に出されたことはこれ以上なく夢と希望に満ち溢れたことだと思う。しかもファンタジーで塗り固められた量産型ヤクザ映画で描かれていたような非現実的な完璧な理想的ヒーロー像の主人公とは異なり、本作で描かれた主人公はファンタジーや嘘偽りをとことん削ぎ落とした人間臭くてちっぽけな人間像。凄く現実的で自然体。東映の社長の指示に従うしかなかった東映社員時代の中島貞夫監督には描きたくても描くことが許されなかった中島監督が本当に描きたかったこと。ATGという素晴らしい映画会社のおがけで中島監督の念願が叶ったことに感動する。そして渡瀬恒彦はノーギャラで出演を志願。頭脳警察の曲・歌詞も見事に物語にマッチしていて素晴らしい。中島貞夫監督×ATG×渡瀬恒彦×頭脳警察、非商業主義の無敵艦隊で描き上げた芸術的ヤクザ映画。単純に笑って泣ける商業映画の良さも勿論分かるが、やはり普遍的な意義深さを魅せてくれる芸術映画は格別に素晴らしいと思うし大好きだ。このような非商業の芸術やくざ映画が存在することに夢と希望を感じる。 70sのノスタルジーに溢れた素晴らしいヤクザ映画だった。