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アイガー北壁のsowhatのネタバレレビュー・内容・結末

アイガー北壁(2008年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

【大勢の観客が下から観ている前で挑む命がけの登攀という幸と不幸】

ベルリン五輪開幕直前の1936年(昭和11年)、ナチス政権は国威発揚のため前人未到のアイガー北壁を初登頂した者に金メダルを授与すると発表します。ベルリンの新聞社に勤める若い女性写真家ルイーゼは、幼馴染の登山家トニーとアンディに挑戦を促します。自信家で乗り気のアンディと慎重で謙虚なトニー。結局アンディの説得に折れたトニーは挑戦を決意します。かつて恋人同士だったトニーとルイーゼですが、都会に染まったルイーゼにトニーは心を開きません。

アイガー北壁の特殊なところは、麓の豪華ホテルのデッキから登山家の行動を望遠鏡で逐一観戦できることと、ユングフラウ鉄道で海抜3454mまで行けることです。挑戦者たちの偉業を見ようと、ホテルには観光客と報道陣が詰めかけます。ルイーゼも上司に伴われホテルにやってきます。暖かな暖炉、豪勢な食事とワインを楽しむホテルの宿泊客と、ワンポールテントで寝泊まりする挑戦者たち。都会から来たブルジョアたちvs田舎から来た貧乏で若い登山家たちの対比が際立ちます。命がけの挑戦者たち→安全なホテルのバルコニーから望遠鏡で観戦する老若男女→さらにそれを観て楽しむ映画の観客、という入れ子構造です。ルイーゼの上司の新聞記者の男は、読者の興味をそそる記事を書くことを重視するあまり、挑戦者の命を軽視するかのような発言をし、まるで冷血漢のように描かれています。でも彼のような記者がいなければ、目撃し、記録し、報道することができません。映画化することもできません。皮肉なことです。

トニーはルイーゼにこれまでの山行を記録したノートを託し、出発します。先行したドイツ人ペア、トニー&アンディをオーストリア人ペア、ヴィリー&エディが追いかけ、頂上を前にして4人のパーティに。途中ヴィリーは頭に落石を受け怪我を負いますがエディの説得虚しく登頂を続けてしまい、ついに行動不能に陥ります。低体温症で判断力が落ちていたのかも知れません。「俺達はいいから頂上を目指してくれ」というエディ。勝手に付いてきたオーストリアペアを自業自得だと見捨てて頂上を目指し偉業を達成するか、オーストリアペアの命を救うため下山すべきか。ドイツペアは葛藤に陥ります。ヴィリーを頂上までザイルで引き上げようと主張するアンディ。登山の歴史に永遠に名を残すはずの偉業達成を目の前にして、人命救助のために撤退を選ぶトニー。今回は折れません。麓から観ているであろう大勢の観客たちとナチスや国民の期待、偉業達成への名誉欲、疲れと低体温での判断力低下、いろんな悪条件の中で、彼は倫理的かつ勇敢な決断を下します。本作最大の見所です。登山で最も勇気のいる決断は登ることではなく、撤退することであるという大事なことを教えてくれます。ただしこの間のやり取りは当事者の証言が残されていないため、脚色による部分が大きいはずです。本当はなにがあったのか、それは分かりませんが彼らの行動は記録されていました。

アイゼンなくす、手袋をなくす、油断して非常用のルート確保を怠る、悪天候と雪崩、救助用のザイルが短い、彼らにつぎつぎと困難が襲いかかります。

毛糸のミトン手袋、重たい鉄のハーケン、重たく切れやすいザイル、綿の防寒服、当時の装備で山に登るのは現代と比べ何倍も困難だったのではないでしょうか。当時の装備を見るだけで大変興味深いです。


【アイガー北壁(岩壁高1800m、頂上標高3970m)登攀挑戦の歴史】

1934年、二人のドイツ人ベックとレーヴィンガーが史上初挑戦するも2,900m付近から滑落死。

1935年、ゼドゥルマイヤーとメーリンガーが、頂上まで600メートルの第3雪田で動けなくなり凍死。以後,第3雪田は「死のビバーク」と呼ばれることになる。

1936年、ナチスが成功者にはベルリンオリンピックの金メダルを与えると公表し、ドイツ隊とオーストリア隊が競い合いながら登頂を目指す。「死のビバーク」を越え頂上へ迫るが撤退(本作)。

1937年、フェルクとレビッシュのドイツ・オーストリア混成隊が「死のビバーク」地点まで到達するものの悪天候により撤退。

1938年、ヘックマイヤー、フェルク(ドイツ隊)、ハラー、カスパレク(オーストリア隊)がアイガー北壁初登攀に成功。
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