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ソフトボーイのはのネタバレレビュー・内容・結末

ソフトボーイ(2010年製作の映画)
1.2

このレビューはネタバレを含みます

なんか気持ち悪かった…
ラストに垣間見える、ノグチに漂うサイコパス感…

ものすごく穿った見方なのでさわやかな感想を持った人には読まないで欲しい。

何事もやってみないとわからん、というのが作中何度もセリフにもなるテーマなんだろうけど、主人公のオニツカは、一度としてノグチに挑戦する事をしないんだよね。

好きな子の心を奪われても、ラストに自分の夢だった場所に立たれても、自分なりの幸せを得た、と感じる事で自分をごまかして全てを諦めているようにしか見えない。
もっというと、ノグチにそうコントロールされたようにしか見えない。
ラストのテレビを見るオニツカの顔は、負けたことにすら気づかない、負け犬にも及ばないものにしか見えなかった。
だって戦ってすらいないから。

作中唯一ノグチから離れるチャンスだった、料理人のワークショップにも、ノグチや友達の為に行かず、そちらが自分にとっても正解と考えてしまっている。
(親さえもそう思っている)
どんな大事な仲間や友達の為であろうと、自分の夢を投げ出す理由になるか?
あの瞬間にオニツカは、自分の夢の為に戦う事を全て放棄したのだろうね。
結局作中主人公のしたことって、ノグチや周りに流されただけで、唯一自分の意思だったワークショップへの参加は投げ出しちゃってるんだから。

身の程を知るとか、自分の得られる範囲で納得するとか、そういう結末もありでしょ、ってことを描きたかったんだろうけど、オニツカの夢の実現がなされなかった原因を辿ると全てノグチに行き着き、かつノグチが全て叶えてしまっているところが非常に気持ち悪い。

なんつーか人生単位のスパンで行動をコントロールされて、全て予定調和の中に閉じ込められた主人公の話にしか見えなかった。
それならそれで面白い話とは思うが、悪気なく青春モノとしてこの筋書きにしたのなら、ちょっとセンスが理解できない。
ノグチが主人公の夢とは全く違うところで活躍してるならこうは思わなかったんだけど、なぜあんなラストにしたんだろう。

夢だったことは投げ出し、好きだった子の事は諦め、生まれた時から用意されていた家の仕事を継ぎ、向こうから告白してきた女の子と結婚して、自分では何も行動してないことにすら気づかず(ように誘導され)、「何事もやってみないと分からん」と、言葉すらノグチのものを使って語る主人公って、中身入ってるんだろうか…?
なぜスポ根ものでこんな空虚な人間を主役にした?
一度として戦わなかった人間を見てなにを思えと?
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