ニューランド

チョコレートと兵隊のニューランドのレビュー・感想・評価

チョコレートと兵隊(1938年製作の映画)
3.5
✔『チョコレートと兵隊』(3.5p)及び『軍国スケッチ 銃後』(3.0p)▶️▶️ 

 今回の映画史における女性スタッフのクロースアップの特集における最大の柱の一つが、今回の二本は別名義になってるこの脚本家だったのだろうが、見た限りの中身でも、日中戦争時の、戦火は内地に及んで来てない、精神的な日本的美徳が保ち得てる面も自覚できる状況(現実には、飢饉による窮乏とモラル崩壊のエリアも確実にあったにしても)を踏まえての作品となってて、ドロドロした人間関係には至らない、肉親その他の死に関しても、真っ直ぐに受け止め·どこかに要因を転嫁しない、痛みの真摯な表現、それが結果的にそれに至る経緯が相当し得るかを計らせる、澄んで底からの力持ってる代表作品となってる。特に、ストレートな縦やフォローの移動、退いた侭の濁りない簡潔な描き方、角度の変え方の90°や切返しが映画タッチを超えた透明さ、戦争行為自体に対する鼓舞や怖じ気の強調などない·日常を少し越えた延長上での捉え方(早く帰ってきて、また釣り等の約しや未来感が普通に)、そして戦闘行為自体の過酷さ含みながらもそれを正確に対処·姿勢を起こしてくベースと·銃後の日常が国家を越えて直に繋がっている在り方、その2パートの·かなりのたっぷりスパンでの(ニューズリール含め)カットバックの一つ高い所での見渡しの視点、それらが特別でない当たり前の描き方として採用されている事、らのこれまでのに比べるとより清新さを感じるものとなってる。それらは、逆に寧ろ戦闘の悲惨さの不充分さが現れてるのかもしれないが、総体としては、今に至る戦争への正確な把握の道が残り伝わる作となってる。日米戦争に入っては、戦局がこんな、抑揚を省いだ清廉な描き方は許されなくなってくるのだろう。
 それにしても、銃後と戦地の物資と情報の行き来がまだまだ可能で、個人ごとに家族が好きな物を詰めての慰問袋や最新写真、逆に子供らが集めて応募を楽しみにしてる包装紙を支給品から丹念に集めての届け返し、といった心持ちが行き来して普通に離れた所での家族の会話、それは一方の側内での周囲との和み·温めにも通じてる、構成員側からの社会の内的構築·持続が可能だった時代。戦争自体を無意識に打返し、ルノワールの代表作とも似た感触を持っている。ちと凄い、根幹の社会性の在り方を、必ずしも国家統制を非難せず従う中でも現れてる頼もしさを今に通じて感ず。
 ややニュース·ドキュメンタリートーンにフィクション会話も加えた婦人会の動静の比重大の短編は·作品の性格上·やや好戦·大義の見せ方が引っ掛かりもするが、長編フィクションの方は、釣り趣味の誇らしさや·親戚の異性との清潔で客観的な視野の構え·細かい個人の拘りを家族が共有か思い遣る事での拡がり深まりの起点と結果になる事·らが現れてくる。主人公たちが歩いて行き着いた、戦争を語る人気紙芝居の男の流暢さを遮る咳の発生が、彼の不在への不可解さから、彼の病死の現実に進む。2つの死は、片方の補佐ではなくあくまで同列に描かれる。
 家族の出征前の世代や価値観に少しズレあってもそれを呑み込み、より充実·合一発展の先を見据えてくパート、自分を変えず受け止め·その前の晩まで自分に残されたと思ってる子らへの宿題をこまめに果たし·出征の列にあっても変わらぬ父と周辺、普通に(戦果など関係なく)早く戻り·離れてても続いてく心のやり取りが·形として現れるを疑わない·離れても変わらぬ繋がりの在り方、そして戦死の真正面からの受け止め·涙堪えず隠さずも怯えとは別から·衒いなく未来へ向き直す一本の線の変らず続く流れ。ハードル高かった、当時のキネ旬B10 にも後一歩だったという、やはりこの脚本家の代表作か、総花的な巧みさに決して留まってない。
ニューランド

ニューランド