アキラナウェイ

トムボーイのアキラナウェイのレビュー・感想・評価

トムボーイ(2011年製作の映画)
3.5
性自認が男の子である女の子。
性自認が女の子である男の子。

これまでは表に出てこなかった、トランスジェンダーの少年少女にスポットライトを当てた作品が奇しくもこの短期間で、同じフランスから日本にやって来た。

現在上映中の「リトル・ガール」と本作である。どちらも、性自認に悩む年端もいかない少年少女を阻む"壁"を描いている。本作では"親"であり、「リトル・ガール」では、"学校"である。

劇中、あまりにも親の理解がなさ過ぎてびっくりしたが、調べて納得した。本作は2011年に製作された作品だった。10年も前の作品なのだ。この事については後述する。

監督は「燃ゆる女の肖像」のセリーヌ・シアマ。

新しい街に引っ越して来た10歳のロール。父、妊娠中の母、妹と暮らし、住宅街で知り合った少女リザに、彼女は「ミカエル」と名乗り、男の子として過ごし始める。周囲の子供達を彼女を男の子だと認識し、新生活が始まるが、新学期を迎えるにあたり、彼/彼女は困難に直面する—— 。

涙ぐましい努力とはまさにこの事。

親が介在しない子供達だけの世界。

自分は男の子。
男の子になりたい。
男の子として見られたい。
その為なら何でもやる。

最初は男の子達が興じるサッカーにだって及び腰だったけど、その中に入りたい。間もなく彼は、他の子供達と同じ様に上半身裸になって、同じボールを追う様になる。

ひたすらに残酷で、
ひたすらにハラハラした。

男の子達は、サッカーの合間にも立ち小便。自分はそうはいかない。誰にも気付かれない様に姿を消し、茂みの奥で屈んで用を足さねばならない。

湖に泳ぎに行こうと誘われ、ロールは思案する。女の子用の水着のおへそから上の部分を切って、股間に膨らみが出る様に、アソコは粘土細工で自作する。何度も鏡で確認して。いざ、湖へ。

リザはミカエルに好意を抱き、子供ながらのキスをする。

何気ない日常の裏に隠された、10歳の子供が抱える重大な悩みを、いや悩みという感覚もない"揺らぎ"を、ただひたすらそのまま自然体で描き出す。

泣けてくる。

僕は男の子。
男の子として見られたい。
ただそれだけなのに。

母親にその事がバレた時、母親はロールを激しく叱責し、嫌がる彼にワンピースを着せ、特に親しくしていたリザの自宅に謝罪に向かう。

ワンピースを着させないであげてくれ。
彼はこんなにも嫌がっているのに。
母親の、トランスジェンダーへの理解の無さに辟易し、今の時代にあの対応はないだろうと絶句した。

しかし、製作されたのが10年前なのだ。10年前ならあり得たかも知れない。

さしずめ同監督の2019年の作品「燃ゆる女の肖像」がヒットした事を受け、10年も遅れて日本での劇場公開へと漕ぎ着けたのだろうが、今この作品を公開するのは、些か遅過ぎる。

もうこの作品は、旬な作品ではなくなっている。鮮度を失っている。そんな作品が10年遅れでやってくる(本作の魅力に10年前では気付けなかった)日本にこそ問題がある。

きっと、男の子になりたい女の子に無理矢理ワンピースを着せる親がまだ日本には少なからずいるんじゃないかとすら思う。

今、子供を持つ親に問われているかのよう。子供達の性自認は把握していますか?無理矢理親の旧態然とした性認識で決めつけて押し付けていやしませんか?そして、自分の息子、娘がトランスジェンダーであった時、直ぐに彼ら彼女らに寄り添ってあげられる準備は出来ていますか?

この作品にそこまでの説教臭さはない。ないけども、「へー、男になりたい女の子の物語なんだ」などと軽く見過ごしてはいけない気がする。

子供達には、自分達の好きな色の好きなものを着させてあげたい。僕は甥っ子の出産祝いで選んだ肌着の色ですら、一瞬悩んだ。