レオピン

226のレオピンのレビュー・感想・評価

226(1989年製作の映画)
3.3
【皇軍相撃つ】

笠原脚本 感傷が過ぎてなんだかあの頃の白虎隊とかの年末ドラマっぽい仕上がりに。

途中から舞台のように、まったく動きのないシーンが延々続く。仁義なきの密室劇と違って台詞も少ないため、よく知らない者には全ては無計画で情況依存的な愚か者としか映らない。
妻子たちとの回想も『戦国自衛隊』のような唐突なMVふうの映像でお茶をにごしてましたよ。

それにガッツさんとかCCBの人とかあれっと思うキャスティングも。山王ホテルの支配人には、校門前の中華屋の親父にしか見えない辰兄いが。もちろん松方さんも一緒。なぜか東映の役者たちが多かった。竹中 根津 本木は『GONIN』で再結集。ナイフで腹が切れるか いや切れますよと呟く本木は良かったが。

ショーケンは軍服が似合わないなぁ。最後だってあんなマカロニ刑事みたいな表情で死なんだろうに軍人は。野中四郎大尉の弟、野中五郎は海軍の人。決戦兵器「桜花」の中心人物。

たぶん事件のことはこの映画だけでは1ミリも分からん。本なりなんなり読まないと。。

事件の発端は二年前に起きた陸軍士官学校事件の遺恨。首謀者は磯部浅一と村中孝次。これに強硬派の栗原安秀中尉が中心メンバー。あだ名はヤルヤル中尉、またはクリコ (竹中直人 佐野史郎らはかなり似ていた 彼らの口だけ達者なところも)
野中や安藤はどちらかというと引きづられた方。北一輝や西田税はほぼとばっちり。

あまり分かったふうで彼らの批判をしたくない。裏で絵図描いてケツをかきハシゴを外した連中がたくさんいる。尻尾切りをした側の罪が問われないままだ。

2019年のNHKスペシャルによると、海軍は事前にある程度のことを知っていたのは事実のようだ。この辺がまだ分からない。連合艦隊旗艦の「長門」は土佐沖から急きょ東京湾へ。収束するまで主砲の照準は永田町へ合わせていた。やはり海軍の動きは素早い。横須賀の井上成美の的確な判断があったのだろうが、襲われた6名のうち3名が海軍の重鎮。海軍にとってはうちの親父がとられとるんじゃ クソがぁと沸騰したのも想像つくが。あ、それと宮中の木戸幸一役の長門もよかった。

夫にトドメをささせなかった妻、昭和天皇の母代わりであった鈴木たか。この人の存在が天皇の態度を決めさせたのではないか。全く酌量の余地を見せない最後まで苛烈ともいえる姿勢。
トドメをささずに敬礼して立ち去った安藤大尉。最近になり鈴木貫太郎記念館には大尉の遺品が寄贈されたという。もう歴史が作るドラマには勝てない。あと栗原中尉と縁があった歌人の斉藤史を皇室が歌会に招いたことも。百年近くたってようやく和解モードになるのだな人間は。

(疑惑の)陸軍大臣告示に浮かれたのも束の間、ラジオ放送「兵に告ぐ」までの急転直下。生真面目すぎた悲劇 時の流れが早すぎると彼らは呟いただろうか。きっと仁義なきの広能ならさっさと尻をまくってしまう所だが彼らはみな毛並みがよすぎた。そいや金子信雄も出てた。川島陸軍大臣よりも真崎か荒木の役でよかった。 

Nスペによると陸軍上層は彼らに奉勅命令を伝えていなかった。伝えきれずにお茶を濁していた。ここへ来てなお彼らの煮え切らない態度 事なかれ 先送り体質。
ここまで思いつめた若者がいた 生き急ぎ死に急いだ青年がいた。日本史では図らずも朝敵となり逆賊の汚名を着てしまったものたちの中に、その後目覚ましい活躍をした者もいた。

世界に目を向ければ、この年の暮れには中国で西安事件が起き二度目の国共合作が成立。イタリアは前年からエチオピアへ進攻しスペインは内戦に。そしてラインラント進駐と五輪開催で勢いづいたナチと日独防共協定を結ぶ日本。いよいよ世界は敵味方の線をはっきり見せ決戦へ向けての最終コーナーを曲がりつつあった。

歴史の授業では跳ねっかえりの青年将校の起こしたものだと簡単に語られるが、それは一面にすぎるだろう。異例のスピード裁判で銃殺され刑場の露と消えていった魂。彼らの遺書、特に磯部の呪詛は強烈だ。その恨みは日米開戦の前、軍上層に届いただろうか。

「わしが的にかけちょるんは◯◯よ。あれが上におる内は、なんぼうやっても日本はまとまらん。あれをアメリカとのセリ合いの場に引き摺り出して、二進も三進もならんような恥かかせてから、引退に追い込んだれいと思うとるんじゃ」

ちょっと笠原脚本ということでいらん想像してみた。いつの世も若いものを唆してウマい汁を吸おうという連中が必ずいる。だが彼らの限界も露呈していた。手段と目的の錯誤、兵站・通信の軽視、統一組織の不在、楽観的希望的観測・・・
あの4日間に起きたことはどれも大日本帝国の顛末と重なる。やっぱり、
つまらん連中が上に立ったから、下の者が苦労し、流血を重ねた、ということなのだろう。

1928(昭和3).6  張作霖爆殺事件
1929(昭和4).10  世界大恐慌
1930(昭和5).5  ロンドン軍縮条約締結 (統帥権干犯問題)
1930(昭和5).11  浜口首相銃撃事件
1931(昭和6).3  三月事件
1931(昭和6).9  満州事変 (~1932.2)
1931(昭和6).10  十月事件
1932(昭和7).2  血盟団事件
1932(昭和7).5  五・一五事件
1933(昭和8).2  国際連盟脱退
1933(昭和8).7  神兵隊事件
1934(昭和9).11  陸軍士官学校事件
1935(昭和10).8  相沢事件
1936(昭和11).2  二・二六事件
1936(昭和11).5  軍部大臣現役武官制復活 (広田内閣)
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