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ギルバート・グレイプのKuutaのレビュー・感想・評価

ギルバート・グレイプ(1993年製作の映画)
4.1
ジョニーデップとディカプリオの演技に注目が集まりがちだが、ラッセ・ハルストレム監督の演出も相当に素晴らしい。

原題はWhat's Eating Girbert Grape。ギルバートを悩ませるもの、ギルバートを食べるもの。カマキリの交尾に例えられるように、不倫の奥さんや母親に引き止められ、死にかけていたギルバートが自由を手にする話のようにも見える。

不満を「燻らせた」不倫相手、燃やし切ったギルバート。母親にも不倫相手にもタバコの火を貸し、最後は自ら使う。朝食作り中にキッチンの火を慌てて消す姉のエミーは不満を抑えながら家族に尽くしているし、化粧に勤しむ妹のエレンは世間からどう見られるか気にしている。風船が割れるのを契機に溜め込んだ不満を爆発させるギルバート等々、冒頭から細かな仕掛けが満載。

アーニーに首を落とされるバッタのように、雌に頭を食べられるカマキリのように、不倫相手の旦那は頭から倒れ、父親は首を吊る。母親は過去に囚われて食べ続け(父の分のソファと朝食)、死んだ様な表情でもリモコンの主導権を渡そうとしない。動けない彼女のせいで、家は軋んでいく。それでもその周りには家族がいて、ギルバートは家にとどまることが運命と割り切って家の修繕に励む。容器の中でレタスを与えられるバッタ(=サラダバー付きのハンバーガー屋?)、水槽で縛られたロブスター、グレイプ家のあちこちに貼られた蝶のマグネットや絵…。どれも親元を車で行ったり来たり繰り返しているベッキーとは対照的なイメージ。不倫相手とベッキーのアイスの食べ方の違いも面白い。すぐ高い所に登るアーニーに「降りなさい」と繰り返していた一階の母親と、地下室の父親。その母親が自ら歩き出し、2階へと上がる。

アーニーを殴った翌朝のエミーとギルバートの会話が泣けた。色々言いたいこともあるけれどグッと堪えて、いつものアーニーとのかくれんぼの流れになる。アーニーとギルバートの再会を見つめる周りの家族の表情もとても良くて、良くも悪くもアーニーがみんなを繋いでいることが分かる名シーン。この後のベッキーと母親の会話も抑えた見せ方で◎。

ハンバーガー屋のオープンの場面も良かった。あんなことでしか祭りにならない田舎の虚しさ、一発で切れないテープカットと、練習していたのに決まらない音楽隊。それでも人々は健康志向の新たな店に喜び(大型チェーン店が街を壊すかもしれないのに)、ベッキーとアーニーは楽しそう、就職が決まった友人も満足げだ。良くも悪くも周囲は確実に変わっていく、その中で時間の止まったギルバートだけが取り残される焦燥感を味わっていく。

知的障害のあるアーニーも過食症の母親も、決して善良でも純粋でもなく、自分が思うまま行動する。わがままに見えるし、ギルバートは確実に負担を被っている。アーニーの将来がどうなるかも分からない。それでも面倒を見続ける。時に彼らから元気をもらえることもある。お涙頂戴ではない、優れたバランス感だと思う。82点。
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