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カリフォルニアのxyzのネタバレレビュー・内容・結末

カリフォルニア(1993年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

腕を肩より上げて銃を上から撃つのが90年代前半の流行りだった。
もちろんアメリカの話し。
黒人ギャングのスタイルで、白人のアーリーはこのスタイルで銃を撃っている。
この男は粗野で品がなく間違いなく高学歴ではない。歩き方、喋り方、食い方、ビールの飲み方、ゲップ、目つき、小汚い髭ヅラ、1/3が穴の靴下etc.
仮釈放中でトレイラーハウスに住んでいて、ドラッグ売買で金を持っている黒人ギャングよりも底辺に位置していると言っていい。それを象徴しているのが腕を肩より上げて撃つ銃の撃ち方だ。意識しているかどうかは問題ではなく、黒人ギャングに影響されている時点で彼らより「下」だ。

アーリーと同棲中の彼女・アデールは場末のダイナーで働いていて、アーリーに気を遣い、支配され、依存している。
学がなく親に愛されずレイプされた過去があり、そのせいで知的障がいがあるようにも見える。しかし、他者に優しく争いを好まず天使のようにピュアだ。

ライターのブライアンと駆け出しフォトグラファーのキャリーのSnobカップルが、ガソリン代節約のためにアーリーとアデールのPoor Whiteカップルを乗せてシリアル・キラーの殺人現場を取材しながらカリフォルニアを目指すのだが・・・

アーリーが人を殺す理由は、劣等感とそこからくる他者への支配欲だ。理性と道徳心と社会性の欠如がそうさせるのだ。
社会が生んだ殺人鬼で、生まれついての殺人鬼ではない。

アーリーもアデールも謂わば社会の犠牲者で、だから互いに依存しているのだし、押し入った家のお婆さんを逃がそうとしたアデールをアーリーは撃ってしまうのだ。まともな感覚だと「なぜ殺す?」と思うのだが、アーリーにとってはアデールは裏切った訳で、それはそのまま殺すということになる。それがアーリーの"正義"なのだ。アーリーが身勝手であればあるほど、アデールが殺されたことが悲しくやるせなくなる。

最後はカリフォルニアで落ち着いた生活を送るブライアンとキャリーの視点で語られて終わるが、これは言ってみれば普通の生活を送っている(はずである)我々観客の視点で、どこにも居場所が無かったアーリーとアデールの悲劇との対比を強調していた。

KALIFORNIAの”K”は、KILLERの”K”で、94年当時はそれがKOOLに思えたのだが、今見るとSnobの幼稚なお遊びにしか見えないのは自分が年齢を重ねた証拠だろう
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