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武士道残酷物語のhjktkujのレビュー・感想・評価

武士道残酷物語(1963年製作の映画)
5.0
1963年製作の中村錦之助31歳のときの作品である。この作品で中村錦之助はその才能をいかんなく発揮して10代の少年から50代の老人までを違和感なく見事に演じている。時代劇なのに救急車のサイレンという意表をついた始まりは、飢餓海峡(1965)・湖の琴(1966)の鈴木尚之及び雨月物語(1953)・新平家物語(1955)の依田義賢の脚本によるものである。この手法は森の石松鬼より恐い(1960)で既に採用されているところをみると、企画が同じ辻野公晴・小川貴也だからなのか、あるいはひょっとしたら中村錦之助の提案だったのかもしれない。原作は南條範夫の被虐の系譜(1963)である。監督は日本共産党員今井正だから党の信念でもありとにかく日本の歴史を暗黒史観で描くのは見事である。作品のテーマは、原作者南條範夫の戦時中の大陸での体験即ち平和時にはその片鱗さえも見せない日本人が駐屯地にいるだけでもなぜ平気で驚くほど残忍な行為をするのかと同様のものである。【飯倉次郎左衛門の章】【飯倉佐治衛門の章】【飯倉久太郎の章】【飯倉修蔵の章】【飯倉進吾の章】【飯倉修の章】【飯倉進の章】の七つのエピソードが時系列で描かれるのだが、テーマは一貫して、忠義一途、滅私奉公ならぬ滅私奉君、忠君愛国が執拗に辟易するくらい描かれる。歴史的には、「当家を守るための自己犠牲」が「当家を守るためにはお家に尽くすこと」に変遷しいつのまにか「お家あっての当家」という価値観に変革していった。お家(東野英治郎)を守るためには自己犠牲を当然のこととして受け入れるし、殿さま(森雅之・江原真二郎)から無理難題を強いられても当家を守るためには是非善悪を超越して甘んじてそれを受け入れることになる。嬉々として殉死したり、娘を土産物に差し出したり、その娘と許婚者を斬り殺させられても、妻を差し出し妻に自害されても、おかまを掘られても、フィアンセを犯されても忠義を守る愚かさがテンポよく描かれていく。「当家を守るための自己犠牲」だったものが時代の変遷とともに「お家」「国」「会社」を守るための自己犠牲というフェティシズムに陥っていったのが武家社会であり、そのフェティシズムは今も続いている。人民のために起った共産党が権力強化を経て逆に共産党のために人民を抑圧していく実態を見れば十分であろう。作品の最後で、「私」を優先させるという至極当然の心構えに戻って映画は終わるのが唯一の救いか。122分が全然長くない緊迫感あふれる今井正渾身の力作・名作・傑作である
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