この80年代感、たまらない。なんて軽薄なんだろう、なぜ軽薄でいられたんだろう。普通にやってたらこんなに浅く撮ることは出来ない、ここまで心理、動機を描かないのもすごい。沢田研二の顔でポストモダンやろうと思わんやん普通
登場人物の動機ガチで全然描かれてなくてびっくりする。主人公の動機は「私」も聞いたところだが、結局最後まで明らかにならなかったし、言葉少なで平坦な言葉遣いで、人間というものが感じられない。全然筋肉のない、ちょっとたるんだ肉(これが、ジュリーの体躯なのか😣)の割にストイックにトレーニングしてるから相当な動機があるのかと思いきや最後まで何も言わないし、彼は囮だったんだよね。その虚しささえも、死に際の凄惨さでかき消されてしまう。「私」も主人公に対して色々質問攻めする割に自分のことは対して語らないんだよな。組織についてどう思ってるかとか、、樋口可南子もコンパニオンと一言口にするだけで全然素性が分からない。そもそも組織が何を目的としているのか、思想を明らかにしない。宗教団体も「♡なしでは生きていけない」が標語として掲げてるけど、♡の意味は定かではない。
物語は主にコンピュータの画面を介して語られるばかりで、その根拠はデータ数値でしかない。人間を模倣したデータが示す命令が人間を制すだなんて、ハイパーリアルな世界。コンピュータが全てだから、命令するはずの会長が命令によって殺されてしまう。それでもって主人公は実は本命ではなくて、囮のテロリストだったところも、すごいよな、、主人公が替え玉だなんてさ、、
『の・ようなもの』に続いて表象の戯れも楽しいけど、物語が霧散していくのを見ているようで虚しい気持ち?とらえどころのない不安な気持ち?になる(褒めています)、セックスシーンでこちらを見つめるモナリザ、意味の無い英会話、食事シーンでショットによって変わってしまう座席配置、誰でもいいセックスの相手、画面後景で殴り合うゴマ粒大の若者たち、左右反転する画面……面白いけれど、物語に一切寄与するものは無い。終盤の走行中の3人を車外一周して撮ってしまうあのカメラワーク、あそこに浮遊感というか、地に足を付けられない感じがとてもよく表れていた。