病気になって鼻がもげて骨が溶けてどろどろになって片輪の子供産んで…田中絹代の叫びはパンパンの残酷な面を浮き彫りにするけれど、それを言わせてるのが男性というのがまた残酷なんだよね…売る方の心情を描きはするけれど、買う側の男の罪悪というのは軽くしか扱われていなくて、これでは生きているだけで性欲支配欲処理道具にされてしまう女たちをサディスティックに陳列しているだけな気がする。だからこそ、田中絹代は『女ばかりの夜』で婦人更生所から脱走しても幸せになれない元パンパンたちを女性の側から描こうとしたのかも。『女ばかり』では、支援する側の人間が全員偽善者として描かれていて凄まじかったなあ
田中絹代の演技は本当に素晴らしいのだけど、やっぱり彼女の顔立ちと年齢にこれほどつり上がった眉毛とぼてっとした口紅は不釣り合い。まるで化け猫女優、パンパン役としてそれを狙ったのかもしれないけど、化け猫女優となった入江たか子のことを散々避難した溝口がやっていい事じゃないよなあ?お前やっぱり女を劣ったものとして扱いたいだけやんけ感がすごい。そしてそれは女が男に反抗すればするほど、対等であろうとすればするほど程度が激しくなる、つまり懲罰しがいがある。溝口健二はこのことに対してどれくらい自覚的だったんだろう。そう思うと同時に通常よりも声が低く、早口でぶっきらぼう、共演女優に体当たりすることも厭わない田中絹代の演技はもはや独壇場で、作品から自律しているかのようにも思えた。それは田中なりの抵抗だったのかもしれないとも…
あんまり溝口映画っぽくないのも特徴的だった。まあ戦後が舞台で和室がそもそも最初しか出てこないのもあるけど、長回しの使い方が変わった?長回しのなかで人物が動き回るとかもあんまなかったかも。後半婦人院に妹を連れてこうか思案している田中絹代とその周りにいるパンパン仲間たちのシーンでの長回しなんかほぼ横移動で、すごく平面的な構図だったし。あとガサ入れの直前に麻薬?を隠そうとする田中と警察のやり取りは戦前の小津映画のようなアメリカ映画らしささえあった。ラストの焼け跡での乱闘のセットはあまりにもセットと分かる出来具合だし、照明は強くて真上からで、まるで演劇的で表現主義かと思うほどだし、教会のマリア様のステンドグラスを映すのも象徴的で意外だった。