カラン

劇場版 ユンカース・カム・ヒアのカランのレビュー・感想・評価

4.5
クリスマスの頃に観たらいいのかも。







TMネットワークの小室哲哉がロンドンで購入したミニチュア・シュナウザーをユンカースと名づけ、英語でしつけ、「ユンカース、カム、ヒア」とよく呼んでいたらしく、それを見ていた同じくTMネットワークの木根尚登が1990年に小説を発表した。このアニメーションでは木根尚登が原作、音楽、そして声優を担当した。

バブル景気と呼ばれる現象は80年代後半から始まり1991年か92年頃までらしい。昭和の終わりというのは不思議な感じであった。私は小さかったので言葉では分からなかったが、何かが変わるんだ、という漠然とした感触だけが強かった。バブル景気の頃に仕事をしていた人の話を聞くと、スカート姿の若いOLがお盆でお茶を持ってきて、札束で商談し、金庫にどさっとやる。そういう実質のない経済の夢がまだ続いていた頃に、この映画の原作が生まれ、バブルの夢がはじけた後にこの映画は発表された。

夢から覚めた後というのはぼんやりしているもので、かすかな喪失感があるが、何を失ったのかはよく分からない。そういう時代や社会の移り変わりがこの映画には反映されている。夢はちゃんとはじける。原作と映画の相違は知らない。

この映画はファンタジーを発揮する。それは家族という小さな夢なのだが、その夢をおっかなびっくり追いかけて、うまく言葉にできなくてしばらくぶりに泣いてしまうのだけれど、なんとか端っこを繋ぎとめる。空を飛んで、あの海辺に帰る。目が覚めると、嬉しいのだが、小さな夢を叶えた代わりにファンタジーを根源的に失う。ささやかに現実へと帰っていくのを遠くで見守るように映画は終わる。

作画なのだが、人物の目が小さい。だから、口元に指を当てておもちゃのような安っぽい光の大きな目のビジュアルが溢れかえっている、見ようによってはだいぶ奇怪な文化に浸かっている社会が、これからこの映画を省みることはなさそうだ。嘘っぽいキラキラから遠く離れて、風を孕んだ少女のきれいな黒髪は繊細に揺らぎ、後を追う犬の爪がたてる愉快な音はくだらないものからのお守りになる。

DVDで視聴。画質は悪くない。音質は良い。少女たちがZ軸上の通りをさよならと散開していく。真っ直ぐな街路は少女が消えれば、ずっと奥まで塀しかない。車の音がするのは、背後の通りを通ったためだろう。目の前に映っている奥まで続く道と、画面には映らない車の走行音のエンジニアリングによって、映画空間を構築するステレオ2chは見事である。頭の後ろを車が確かに走っていったのであった。
カラン

カラン