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虹をつかむ男 南国奮斗篇のotomisanのレビュー・感想・評価

虹をつかむ男 南国奮斗篇(1997年製作の映画)
3.9
 ビールの販促曲が小声で流れるのも、さえない吉岡が何度目かのクビでうちをおん出された果ての奄美群島行きとなりゃ大電力の大音量なんて気分じゃねぇだろうから。
 対して世知辛さも泣いて笑ってヘタ打って乗り切る西田なればこそ、殴り屋で使い捨てられる哀川とも渡り合える恰好なんだが、なんとなく怒りを腹の底にためてばかりの吉岡がそのまま取り残されていく感じでせつない。***に誠を告げても生きる術もないまま帰郷する吉岡が家族には何も語らず職業訓練校で身を粉にしてみせる様子のどこか嘘臭いというか、肝心な事は家族なのに打ち明けない姿が変なのに普通に見えてしまうところが、ちっとも虹をつかめない感じ、どこか誰かと似てませんか?でいっぱいになる。
 じゃ西田が虹をつかめるかといえば、虹実況中継中###がお約束通りケータイをつかみ損ねて放送事故となる様な相変わらずっぷり。それでもオールラウンダーで隠し芸いっぱいで泣いて笑える役者をフル活用すれば、次の虹にも期待を寄せてやって行けるだろう。
 その後塵を浴びる吉岡の先年渥美の幻を最後の寅さん映画で見送り、いままた西田の交信途絶を見送るようすは盛りを過ぎた映画界(映画館界)の出口を見出せない事への怒りの側面、そこで生きたくても踏みとどまれない事のもどかしさを体現しているように見えてしまう。そんな怒りを内に詰め込んで身近な者たちだからこそ打ち明け辛い厄介を抱える男が吉岡には似合っているんだろう。
 当然それと承知でこさえたこの映画だろうが後ろ髪ひかれる中断なんだが、何となくその続きを観たくない感じは、寅さんのあそこで終わって少しほっとした感じと似ている気がする。だから、続々篇が無い事をあえて祈るが四半世紀も経ってひょっこり出たらどうしよう。監督の長命を願わない唯一の理由だ。
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