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おとなのけんかのotomisanのレビュー・感想・評価

おとなのけんか(2011年製作の映画)
4.1
 不始末をやらかすとたいてい再発防止とか考えろと云われる。相手がケガともなりゃあ金も絡んで余計こじれる。子どものケンカと云ったって一線を越えればどうしても親掛かりだ。もっとも子ども同士の事だけならこんなにこじれはしないんじゃないか?親同士の反りの違いがちびりちびりとあやしい展開を招いて . . .
 そもそも加害側、製薬企業の顧問弁護士と被害側、荒物屋の主人そして、その細君は投資ブローカーと売れそうにない本のライターという組み合わせで、揉めればいかにも火が付きそうだろう。折も折、住宅ローンだリーマンだで金融危機の直ぐ後だ、息子まで問題児かとくりゃうわべはさて置き2×2、70分一本勝負に決まってる。といっても、どう見ても決着するよな様子でない。というより、監督、子どものケンカをこじらせるバカ親瞥見を借りながら、どうも女って厄介だなと上物スコッチで牙が引っ込んだ男どもに言わせた気な風がチラチラ見える。そこんトコロが監督の如何なる心境の反映であろうか?
 ただし、見方を変えれば男親と女親の対息子感覚の違いという事でもある。男親にすれば、息子の事件は自身が通過した航跡を振りかえるような事でもあるが、女親にとっては不可解な存在でありつつ昨日までのベイビーでおなかを痛めた我が子である。余所のバカだかトンマのへなちょこ息子とは違うのだ。お酒が入って怪気炎の口から出るわ出るわ。
 この状況を大人げないと顔を顰めてはいけないし笑ってもいけない。いろんなことを背負い込んだ大人だからこうなるのだ。反対にエンディングの子ども二人に、子どもは仲直りの天才だなんて感じてもいけない。彼らは最も厄介な部分を大人にぶん投げてしまうから後腐れをあまり感じないでも済むだけの話だ。ぶん投げができずに死ぬ子どももいれば、相手が死ぬ事を想像もせず何かをやらかしてしまう子どももいるのだ。
 さて、そうは云ったもののやはりこのざまを見てしかめっ面も冷笑も避けては通れない気がする。そうでもしなければあの4人に似ている自分に気づかぬ振りができなくなるからじゃないか?と思うとあーあ大人なんかになってと子どもに言われ兼ねない事態の収拾にココシュカとフジタの図録の再建も上乗せは避けられそうにない。
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