木下恵介監督の代表作として名高い。
けど自分は違うストーリーを想像していた。180度違うことに驚いたとともに、ものすごく薄ら寒くて全くあかんかったです。
まずリリィが子供の頃に牛に蹴られて云々…のエピソードと大人になってストリッパーになり故郷に錦を飾ろうとするその思考。自己肯定感が低すぎる女性のある種のパターンすぎて辛すぎる。
あのトーチャンは牛に蹴られてから頭がおかしゅうなったってリリィ本人にもずっと言い続けてたんよな。
あの持って生まれた天真爛漫さも家のためにはならない、迷惑だと言わんばかりに。極端に自己肯定感の低い少女の出来上がりやんな。
そんな少女が都会に出て「芸術だ」などと言いくるめられてストリッパーとして男たちに性的に消費される。
年端もいかずに自己肯定感が低い彼女には消費されてる実感はなく、それまで褒められたことも頼られたこともなかったところに、そうすることで周りからチヤホヤされて喜んでもらえてお金を稼げる、一旗あげたと信じてるのが同じ女性として胸が苦しい。
こう書くと「職業選択の自由」だの「金持ちになってんだし本人がプライド持ってるんだからいーじゃねーか」という意見は必ず出てくると知ってる。
ラスト村の男たちが去ってゆく彼女に侮辱的な言葉をこっそり呟いて終わることに全てが現れてる。(ここが似たコンセプトの映画とは一味違ったものにはしてると思う)
男たちは「職業選択の自由」や「本人がプライドを持ってるんだからいい」と本心では決して思ってない。むしろ、「性を売り物にする愚かな女」を適当におだてて消費できるならいくらでもおだてるし、一方で裏では彼女らを蔑んでも罪悪感など湧いてはこない。「だって彼女は頭が悪いから」
「職業選択の自由」や「本人の意思」と装飾することで大手を振って女を性的に消費できるし、彼女らが生き生きとすればするほど罪悪感は薄らぐので大歓迎なのだ。
なんか現代と地続きのそんな社会構造を煮詰めたような映画だったのが本当に辛かった。