三四郎

愛情の都の三四郎のレビュー・感想・評価

愛情の都(1958年製作の映画)
3.0
この映画を観ながら浮かんできた言葉。
軟派松竹、硬派日活、日和見東宝。

アイスホッケーの勝敗が新聞にデカデカと載る時代だったのか!
ドラ息子はえぇなぁ。会う女性、会う女性みんなに甘い言葉。
「君は東京来て何が一番見たい?」と聞き、「海が見たいわ」と答える娘。地方から来た娘さんなら「東京タワーが見たいわ」とか名所を答えてもいいけど、「海」の方が俗じゃなくて可愛らしい気もする。

途中までは、東宝映画だけれども大船調。
穏やかに安心して見ていたが、だんだんと雲行きが怪しくなってきて…。
地方から来た生娘が男と女の世界を知り一気に落ちぶれる。せめて貞操観念だけは失ってほしくなかったな。
信じていた男性(ドラ息子)には女がいた…ということは承知していただろう。しかし、その捨てられた女が、「子供をおろした」 「私を捨てないで」「あんたも私みたいにおもちゃにされて捨てられるのよ」などと喚き散らす。そんな修羅場を見てしまっては、いくら今後真面目になると誓ったドラ息子とは言え、この出来事の前と同じように信用することはできないだろう。絶望、失望するのは当然だ。
しかし、そこから転落するものだろうか。引っかかった男(おじさん)が悪かったわけだが。
しかし、この映画でもっと驚かされたのは、捨てられた女が、また後日会いに来て真面目になったドラ息子をピストルで撃つことだ…。一体どこでそんなピストル手に入れたんだ?女の恨みは怖い。
最近、石原裕次郎の映画を見ているので、同時代の他社映画を観ているわけだが、時代が求めたものが、「行動する人間」だったのかもしれない。
まぁ結局最後は、「私たち傷もの同士ね」となり、二人でもう一度やり直そうというハッピーエンドで終幕。
ニコライ堂が効果的に使われているのが、良かった。非常に美しい構図だった。

おはぎ、おしるこ、お好み焼き、シュークリーム、エクレア、色々美味しそうなものが出てきたが、酒のつまみがイカ焼きではなく、伊勢海老?!だったのには驚いた。
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