紅茶

いまを生きるの紅茶のネタバレレビュー・内容・結末

いまを生きる(1989年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

再視聴すると、ロビンが若くて、まだ生きていて、泣ける
あなたに会いたかったよ、、


そしてマイヒーロー、イーサン・ホークがずっとイーサン・ホークのまますこぶる良いことを再確認。


赤ちゃんや幼いこどもは「自分は十分ではない」と思って過ごしてはいないという。
あなたが十分でないと思いはじめたのは何がきっかけ?いつ始まった?
という文を最近みてぐっときたことを思い出しながら。

そしてわたしはもはや親になった。
わたしは加害者になる力を持っている…


これをまだ自分が「子ども」のうちに観て、
そしてまた親になってから観れるということのありがたさ。
わたしは両方を忘れないでいたい。




で、これは、ものすごくものすごく臆病な親のもとに育った心優しい(そして親に似て臆病な)青年の悲劇やなと。
臆病な人間て心底怖くて、
恐怖心から人を巻き込む人間は死に物狂いでありとあらゆる手を使って自分の恐怖心を解消しようと相手を捕縛するから、
捕まった相手は逃げられない。
ニールの父はこれやったと思う。
ニールは気の毒だった。
ふつうに有能な子どもだったろうに。
そんな囚われの身のニールが
キーティング先生に反応するのはとてもわかる。
わたしもこわがりの親を持つこどもでした。

わたしは怖がりであってはいけない。
少なくとも、自分が臆病者であることに、自覚的でいなければいけない。

そしてあのニールの親の行動を愛なんて言ってはいけません。
そこはエゴだと自覚していかなければ。
とはいえ自分の行動となると目が眩むもの、わたしはずっときちんと子どもと対話する勇気を持ちたいものです。
ニールの父親は、息子をそのまま受け入れる勇気がなかったんでしょう。
挙げ句の果てニールの死について学校に調査を依頼しちゃったりして、
どこまで逃げるんや、、
なんですが、
あそこまで気づかない大人はいるだろう、わたしもそうなる可能性おおいにあるだろう。
子どもの目を見てその言うことを聴けなくなってしまったらおしまいだ。その子自身について興味を持たなくなったら(その余裕がなくなったら)おおいに危険だと、覚えておこう、
せっかく神さまから預かったひとりの命なのだから。


役柄的には放校になったヌワンダいちばん男前やったなぁ。
校長に打たれても仲間を売らず、
ニールを連れ帰ろうとする横暴父親に唯一食ってかかろうとし、
ショックで吐いて雪原へ闇雲に走り出すトッドを「そっとしといてやれ」と自身も泣きながら追いかけようとする友人たちを抑え、
キーティング先生を犠牲にした告げ口野郎を殴って退学。
いやあんた名誉の退学や。
実話やったらいまごろモテる実業家やろ。あの子は大丈夫や。
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