映画漬廃人伊波興一

恐怖分子の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

恐怖分子(1986年製作の映画)
5.0

劇中人物たちも、私たち観客も、皆が皆、不審火の近くにいるのは、焚き付けの天才エドワード・ヤンによる誉高い犠牲者だからです。
 
エドワード・ヤン「恐怖分子」
 

全編、パトカーのサイレンが鳴りっぱなしのような物騒なこの映画を初めて観てからあしかけ20年が経ちました。

久々にデジタルリマスター版で観ましたが、そのサイレン音もますます冴えて、耳につんざくほど響いてきます。
 
こうもサイレンが鳴りやまないのは至る所で火がつけられているから。


では、なぜこうも火をつけたがるのか?しかも劇中人物たちは誰ひとりとして気づいていない。

エドワード・ヤンは確信犯の放火魔であり、焚き付けの天才である所以です。

しかも、それがまだ年端もいかない子供が持つような火種だから危険極まりない。

時には火炎瓶、時にはライター、いやいや線香さえエドワード・ヤンが手にすれば放火の火種となります。

デビューからわずか18年で閉じられた映画作家人生で特権にも等しいような犠牲者をどれだけ出したことか。

それは「台北ストーリー」のツァイ・チン、痛ましい「牯嶺街少年殺人事件」のチャン・チェン、
ひたすら哀しい「カップルズ」のレッドフィッシュからトレンディドラマ調の「エドワード・ヤンの恋愛時代」のチェン・シャンチー、更には小津映画へのオマージュのような遺作「ヤンヤン 夏の思い出」の呉念真に至るまで。
そしてこの、『恐怖分子』の劇中人物たちも映画熱で全身大火傷を負った名誉ある犠牲者揃いです。

カメラマンのリウ・ミンも、恋人のホアン・チアキンも、混血の非行少女ワン・アン、小説家コラ・ミャオ、その夫の医師リー・リンチョンから刑事クー・パミオンに至るまで、彼らは皆が皆、常に不審火の近くに身を置いている、嗜虐性の強い輩ばかり。

すなわちエドワード・ヤンはこんな劇中人物たちとのべつ対立しなければならない立場にあり、放火こそが彼らに対抗しうる最強の武器に他ならず、彼が目指した映画人としての立場が焚き付けの才能を育んだのであります。

還暦まで届かった短かすぎた生涯は、もしかしたら自身が放った火種が返り血のようにわが身を襲い、あっという間に炎上してしまったからかもしれません。

そしてこの名誉ある大火傷を負う事を辞さぬ者だけが没後10年以上経た今なお、挑発の力が萎えないエドワード・ヤン作品と対峙する資格を持つのです。