凄い…。
キアロスタミの最高傑作と称される映画
映画監督のマフマルバフに成り済ました男サブジアン。詐欺を働いた罪で逮捕されるが、男が真実を語るとなぜ映画監督に成り済ましたのか明らかになる。
フィクションとドキュメンタリーを織り交ぜながらもどこが境界線なのかがわからなくなるほど繊細に作り上げている。
サブジアンが裁判中に映画愛を語るシーンは目が離せない。「映画は作り手の痛みや苦しみを表現するのです。それも私たちに寄り添って。」この男何者なのか?
何者でもない。誰にも愛されず、敬われず、孤独に生きてきたのだ。だからこそ、映画監督を名乗り一度で良いから人に認められたかった。これは承認欲求からか?憧れからか?無責任な行動であり、それとともに私たちを魅了する。
なぜ魅了されるかというと、私たちも憧れている何かになりたいからだ。
特に孤独だとそれを感じる。自分もそうだ。映画監督になってみたい。サブジアンにものすごく感情移入できる。
それでも罪は罪。償うことは必ずする。そして、それを見た被害者たちは許しを与える。非常に素晴らしい決着。
あの有名なラストシーン。本物のマフマルバフが運転するバイクに2ケツするサブジアン。
そして騙した家族のもとへ…。
サブジアンがまたマフマルバフと名乗ってしまい泣くのがすごく良い。
ドキュメンタリー入っているといいましたが、ほとんどフィクションらしいです。ですが、そのドキュメンタリーの部分でさえ怪しい。
キアロスタミはこの映画について「サブジアンは誰の心にもいる」と言っている。
サブジアンは最後に自己愛を見つける。それこそが人が生きる上で大切なものなのではと思う。
僕自身も最近「自己愛」の大切さに気づいたのでタイミングの良い鑑賞だったと思う。
色んなことを考えさせられる素晴らしい映画でした。