素潜り旬

サウダーヂの素潜り旬のレビュー・感想・評価

サウダーヂ(2011年製作の映画)
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俺たちが俺たちであること、俺たちが、個々の俺でしかないこと、そして俺たちの間には、思考に隔たりがあるように誰一人として思考が繋がっていないように、隔たりがある。この隔たりは、考えずともわかるほど、当たり前な隔たりであり、だからこそ断絶されている。その断絶には語るべくもの、語られるべくして語られるものがあるが、映画とは、何を語り、何を語らないか、であるためにその断絶はすべてが明らかになるわけではない。その語られなかった断絶こそが、匂いとなり、サウダーヂとして表現される。言葉で表せないこと、例えば、日本人とブラジル人の表層的な違いだとか、日本人とフィリピン人との表層的な違いだとか、はたまた東京と甲府の違いだとか、簡単に表せそうで、表せられないこと、どうしても中心を捉えようとしてもできないことをサウダーヂと呼んでしまうことで、ブラジル人は軽々と乗り越えられてしまう。つまりは、サウダーヂという考えを持つ者と、持たざる者。この映画をこの二種類の人しかいないと考えれば楽かもしれないが、そんな断絶はこの映画には存在しない。誰も誰かがサウダーヂと呼べるものを持っており、それがサウダーヂとは限らない。それがこの映画の断絶なのだ。
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