根岸吉太郎『ゆきてかへらぬ』を観て、詩人として思うことはいろいろあるけれど、田中陽造のシナリオ(81年『ラブレター』の次の企画だったとパンフに記載あり)が、89年連載開始の漫画『含羞我が友 中原中也』>>続きを読む
レオン&コシーニャ『ハイパーボリア人』は、詩人(肩書はそれだけじゃないけど)ミゲル・セラーノの声が幻聴として聴こえるというメタルヘッドの訪問から物語は動く。実在する詩人や政治家そしてレオン&コシーニャ>>続きを読む
キャプテン・アメリカという存在自体が好きすぎて自分でもキャプテン茨木を撮ってしまうくらいなので、最近不調のマーベルにおいてどんな映画が来ても愛すつもりではいたのだけれど『キャプテン・アメリカ:ブレイブ>>続きを読む
『映画狂人、神出鬼没』で蓮實重彦が「西海岸でサミュエル・ベケットを演出していた若きニューヨーク出身のインテリ青年による、反知識人的な知的B級西部劇の傑作」と紹介していたモンテ・ヘルマン『銃撃』を観た。>>続きを読む
午前1時に墓地に忍び込んで死後の話をするカサヴェテスとめちゃくちゃ嫌がるピーター・フォーク。「おまえもいつか死ぬ」「俺は死なない」をひたすら繰り返す会話と当てのない母の墓探し。死者に告げ口をするように>>続きを読む
前提としてこれだけは観ておけ的なツイートを目撃し(おすすめ機能というのはこういうときにだけありがたく感じる)、初代ガンダムの第一話は観ていた。あと菊地成孔が音楽だからサンダーボルトも。そのおかげでただ>>続きを読む
この都合の良さからくる名作の風貌は映画の魔法でしかないとは言えつつも、ジーナ・ローランズのふるまいひとつひとつに説得力があるがゆえ、なのだともおもう。「3時間待ちなさい」と言うジーナに対して「3時間半>>続きを読む
ティルダ・スウィントンがどうみてもゴダールとボウイの影響下で生みだされたもので、そのひとが死にゆく姿をあらためて見るのはつらい。ただそこから誰も喪に服すひまもないくらいの展開で「これまでで準備オッケー>>続きを読む
去年京都で知り合った作道雄監督の『君の忘れ方』を観た。坂東龍太はほとんど画面に映っていて、喋りかけてくる声の主は生き死にに関わらず画面には映っていないことが多い。彼が喋りかける相手は死んだ役の西野七瀬>>続きを読む
お馴染みポール・デダリュスの人生とともに学ぶデプレシャン版「映画史」はフィクションとドキュメンタリーのミックスだけれど、その垣根もどうやらあまり関係ないみたい。だってインタビューパートのことを監督はウ>>続きを読む
ずっと画面外に居続けるパトリックが自殺未遂で昏睡状態、集まった親戚たちの会話といえば、死が身近な家系だから次は自分かもしれないなどあまり笑えないような話をふざけて言いあっている。かなり多い登場人物たち>>続きを読む
裁判のはじまりから処刑まで。この構成はどうしてもドライヤーと比べてしまう。どちらも素晴らしい。でも決定的な違いがある。この映画にはアントナン・アルトーがいない。これに尽きる・・・。どうしても物足りない>>続きを読む
ゴダールは聴き入っているのか。それともただ音楽を切断したいのか。後者で考えて描写してみる。
音楽が鳴っている。椅子に座りなにか思い詰めたようなゴダールはレコードプレーヤーの針を上げる。音楽が止まる。>>続きを読む
ずっと笑わないミシェル・ウィリアムズ。なにか捉えようのない苛立ちに日々苛まれているように見える。そんなときに怪我をした鳩の面倒を見るようになるが、平和の象徴としての鳩を大切にしているさまは、自分の生活>>続きを読む
森崎東『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ宣言』海のそばの汚い場所でひとが罵られこかされまくる謎の長回しから原田芳雄と倍賞美津子の強烈な寄りの顔芸が続き、宇崎竜童の音楽が鳴りだしたところで原田>>続きを読む
『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』と『ファイトクラブ』をチャンポンした実録風アメリカ映画で主役がトランプでセバスチャン・スタンがめっちゃ似てるだなんて、おもしろくないわけない(トランプに拒否反応が>>続きを読む
生脚の撮り方にとてつもないフェティッシュを感じる。タランティーノかよ、みたいな。監督のハリウッド志向がわるい面で出ている気がする、というのもあきらかに男性的な眼差しでとらえた女性の生活であって、それは>>続きを読む
石橋静河の動き、その説明できなさとカメラとの関係性。ロケーションの良さと表情。それぞれの結びつきのグラデーションがみせるその時々の化学反応が毎秒起きている。
過去と現在と未来は同時に存在していて、そこに夢までも加わってくる。息をするのがどの時間軸でもわたしはわたしである、そこにたしかに存在している、というのが同じ役者が演じることによってそのたしかさが担保さ>>続きを読む
雪国のポエジー。モノクロの映像と雪の町によって可視化される、誰もが誰かの役に立たないという諦観。つらいけれどそういうことなんだ、自然だけがそのまま、わたしたちをそのまま、そのままでいさせてくれる、役立>>続きを読む
20240620初見時のメモ。
何度も反復される「規則」という台詞は、狩り、狩られる関係に結局のところ収束する。その過程においてゲームは情事であるという、普遍的なことを偶然を通して描かれているから、>>続きを読む
ジャン・ルノワールが車を降りてスタジオへ向かう。着いたらたくさんのスタッフがいて、ジャン・ルノワールが座り、喋り始める。それが『コルドリエ博士の遺言』の冒頭となり、ぬるっとはじまる。この「ぬるっと」が>>続きを読む
家屋のなかを平行移動する冒頭や、登場人物が動線を綺麗に動く縦の構図に惚れ惚れする。その構図にはさらに枠があり「開かれた窓」(マティス)のような効果もうみだす、もしくは逆に覗き見るふうになっていたり。>>続きを読む
コーヒー中毒の男の異常さがわかりやすく提示されるオープニングによって、この男はコーヒーのためならなんでもするなとまず思わせる。そこから届いたばかりの車で飲むようのコーヒーグッズを設置し、どうやって使う>>続きを読む
ゲームセンターに併設されたアメリカンダイナーでワッフルチキンをiPhoneで注文する。店員さんに映画の半券で200円引きの特典を使いたいがどうすればいいのかを聞く。「こちらでやりますので」そうですかは>>続きを読む
五年ぶりに再見(観たことはすっかり忘れていた)。即興演出による脚本なしの物語にしてはよくできている。これを日本でやればまあまあ無茶苦茶でしょ。いいかんじになったのは、あの時代のアメリカであの主題を持ち>>続きを読む
元気になったからさっき今年初の映画館に行ってきた!濱口竜介監督『何食わぬ顔』を観に!千葉雅也さんの音楽が流れるタイミングがおもしろくて、最初なんで急にこのタイミングで流れるんだろうと思っていたら、劇中>>続きを読む
顔から顔へ、移行する。いまなら『オッペンハイマー』なんかで良い効果を生んでいるけれど、これは効果とかではないよね、顔を捉えるというアイデア勝負みたいなところがある。でもそれに拘りすぎないのがよくて、ラ>>続きを読む
登場人物が無軌道であるということをジョン・カサヴェテスがやるとどこからが脚本に沿われたものでどこからが即興なのかという問いがあり、結局はほとんどテキストに書かれたものであるというのが本当なのだろうけれ>>続きを読む
録画していた濱口竜介『不気味なものの肌に触れる』で映画初め。そして観た数時間後に胃腸炎でダウン。胃腸炎になるということは不気味なものが肌に触れることなく全部でることだと思った、というか運良く肌に触れる>>続きを読む
シネ・ヌーヴォで濱口竜介監督と出演者のQ&A付きでついに『ハッピーアワー』を観た。DVDも持っているのに観る機会を逃し続けてきた映画。どうせなら劇場で観たい。それも毎年やっている年末上映で。と思い続け>>続きを読む
映画内で提示される「情」と呼ばれる国民性を、チチという存在の感情の動きとショットと照明やグレーティングによってなんとなくあたりをつけていくその受け手側の作業が『牯嶺街少年殺人事件』や『恐怖分子』とはま>>続きを読む
佐野「お一人ですか?」
凪「はい。本当は友達と一緒に旅行して Zine 作ろうって。Zine てわかります? 写真とか、文章とかイラストとかの冊子」
佐野「うんなんとなく」
凪「だったんですけど>>続きを読む
『アイ・ライク・ムービーズ』は批評家でありジャーナリストでもある女性の監督がひっどいシネフィル男性の青年期ともいえる姿を基本的なトーンとしては愛くるしく描いているけれど、映画業界の闇に触れるシーンで転>>続きを読む
劇場で観ていたら、まっすぐ帰らずに喫茶店寄ってとりあえず一息つきたいやつだった。このコロンボ(古畑)的倒叙を法廷劇でやってそれでいてしっかりイーストウッドな脚本書いたジョナサン・エイブラムスってひと凄>>続きを読む