Kumonohate

兵隊やくざ 殴り込みのKumonohateのレビュー・感想・評価

兵隊やくざ 殴り込み(1967年製作の映画)
3.9
前作での逸脱を修正し、本来の「兵隊やくざ」フォーマットに戻した正統作…と思いきや、終盤では、八路軍に戦いを挑んだ大宮(勝新太郎)が、単身ながら敵を全滅させ、奪われた軍旗を取り戻すという大活劇が展開する。そんな大宮の超人ぶりは、従来のフォーマットとかけ離れてはいるものの、戦いの目的が国家のためでは無く、恩義を感じた友の敵討ちのための殴り込みであるという点においては、しっかり “やくざ映画” である。

だが、本来の動機がどうあれ、大宮の行動は、“人間の命よりも重い軍旗を命がけで奪還し、その功績を上官に讃えられる” という、まさに軍人の鏡のそれ。これまで彼が否定し続けてきた軍隊のアホらしさを象徴する行動そのものである。過去作に於いてアウトローを貫いてきた大宮は、ここに至り、遂に正統な帝国軍人に変貌してしまうのである。

しかも、かくして立派な軍人へと転落した大宮を、監督はさらに空しい存在へと突き落とす。

すなわち、大宮が命がけで奪い返した軍旗は、くぐり抜けてきた幾度もの戦闘によって、殆どが焼け落ち、わずかに縁の部分が残っているだけ、という有様。しかも、そんな軍旗を奪還すべく大宮が超人的大活躍を繰り広げていたとき、日本では既に玉音放送が流れた後だったのである。もはや軍旗とも言えないようなみすぼらしい布きれのために、敗戦によって戦う意味が消滅してしまったにも関わらず、大宮は命をかけ、相手を全滅させたのである。

何というアイロニー。何という自己否定。最後の最後で、ずる賢い(もと)上官をコテンパンにのしてしまうという本来の姿に戻るモノの、本作における大宮の転身は “ヤクザ大宮の死” と解釈するに足る。制作者の間には、本作をもってシリーズにピリオドを打とうとする意識が働いていたのかもしれない。
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