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五条霊戦記//GOJOEのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

五条霊戦記//GOJOE(2000年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

平安時代。平家が支配する京の都は荒れ果てていた。五条大橋では、平家武者が次々と襲われ、人々に鬼の仕業と恐れられていた。その頃、夢の中で「鬼を退治せよ」との掲示を受けた弁慶は、鬼を討つべく立ち上がる。そして五条橋で弁慶が見た鬼の正体は、源氏の生き残り、遮那王こと源義経だった…。

義経(遮那王)こそが五条の「鬼」で、弁慶が鬼退治に現れた救世主。
義経と弁慶の五条大橋での出会いが、実は伝承とは逆だった…という破天荒な設定のアクション時代劇の佳作。

鬼と怖れられた遮那王は源氏再興のため「鬼になろうとした人」であり、弁慶は逆に阿闍梨に諭され「人になろうとした鬼」。
この互いに特異な生育環境である設定が憐れを誘う。
そして宿敵が互いに惹かれ合う運命を感じる。

本作の主役はあくまでも弁慶。
人間離れした力を持つために「鬼」と呼ばれ、人として生きたいがためにその力を封印していた。
彼はある日、不動明王のお告げを受け、五条に向かう。
刀鍛冶の職人である鉄吉と知り合い、彼を案内役にする道中で、弁慶は荒んだ世を嘆き、人間らしさを学んでいく。

一方の遮那王の強さは人間離れしている。
クルクルと回りながら、バッサバッサと敵を斬る凄惨な遮那王の二刀流の立ち回りは、膂力の無さを遠心力で補っているように見え、意外と理に適っている。
宮本武蔵の二刀流は過去の邦画でも度々見たが、片方で敵の刀を受けたり、見栄を切ることなく、勢いのあるまま淡々と無表情で敵を斬る様は、さながら機械のような冷たさで美しい。

打倒平家という遮那王の目的は、弁慶と対峙してから、本当の鬼を倒すほどに強くなりたいと、純粋な強さへの渇望に変わる。
その遮那王の姿は普遍の純粋さだ。
弁慶も恩師・阿闍梨の死を知り、自らの「鬼」の封印を解く。

史実通りのイメージではないが、弁慶役の隆大介、遮那王役の浅野忠信の演技と佇まいは素晴らしい。
また、この作品は平安の「闇」の部分を上手く表現できている。
物の怪が棲んでいそうな森、密教や修験道を用いた呪術的な雰囲気が効果的だ。

ラストの遮那王と弁慶の死闘は、技と力がぶつかり合うなかなかの迫力。
鬼対鬼の殺気に満ちた宿命の戦いは、「念」というか、人間の内なるパワーを感じさせる。
現在で言えば、感動的なセリフの無い「鬼滅の刃」の煉獄と猗窩座の戦いのようなモノである。
遮那王が最後に見せた表情は印象的。
鬼になろうとして人の心を失った遮那王は、本物の鬼によって倒されることを望んでいたのかもしれない。
彼らが引き寄せたのか?雷に撃たれて、2人は壮絶な最期を迎える。

難点は尺の長さか。
2人の激突を勢いを殺さずに描くには、市井の人々の有り様を描く幾つかの場面は、少しカットした方が良いかもしれない。
しかし、それによって戦乱の世の惨さや、怨念渦巻くスピリチュアルな空気感を出そうとした意欲は買いたい。
伝奇ものとしてパワーを感じる作品だ。
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