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ある男のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

ある男(2022年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

里枝は離婚を経験後に子どもを連れて故郷へ帰り、やがて出会った大祐と再婚、新たに生まれた子どもと4人で幸せな家庭を築いていたが、大祐は不慮の事故で帰らぬ人となった。ところが、長年疎遠になっていた大祐の兄が、遺影に写っているのは大祐ではないと話したことから、愛したはずの夫が全くの別人だったことが判明する…。

「愛した人は一体誰だったのか?」
信頼が必要な結婚生活で、これほど衝撃的な嘘もないだろう。
芥川賞作家・平野啓一郎の同名ベストセラーを石川慶監督が映画化したミステリーの秀作である。

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、亡くなった夫・大祐の身元調査をして欲しいという相談を受ける。
城戸は男の正体を追う中で様々な人物と出会い、驚くべき真実に近づいていく。

序盤は訳アリの男女の切ないロマンス。
離婚から立ち直れていない女と、絵を描くことで癒しを求める流れ者の男が、お互いの心の傷を舐め合うような田舎町での恋。

この設定だけでも引き伸ばせば一本の映画が作れる。
やがて結ばれて幸福な日々を送る男に突然訪れる事故。
そして判明する男の戸籍が偽物だった事実に「この男は何者なのか?」と興味がそそられる。

中盤は正体不明の男の身元を弁護士・城戸が解き明かす、探偵ものに似たミステリーだ。
男は何かしら罪を犯し、犯罪者のレッテルから逃げるために他人になりすましていたのか?と、調べていくうちに、どうしようもなく男に惹かれていく城戸。
それは城戸が密かに在日朝鮮人3世のレッテルに苦しんでいるからに他ならない。
上辺は日本社会に溶け込んでいるかのように見えても、妻の父親の(悪気が無いが)心の無い差別の言葉や在日排除のニュースに傷つく城戸。
男がどのようにして自らのレッテルを剥ぎ取ったか?を、自分にもできるのか?と執拗に追う。
やがて巡り合った戸籍交換ブローカーと男の絵に似た作風の絵。
服役中のブローカーは城戸の密かな欲望を見抜く。
死刑囚が描いた絵の展覧会で城戸が見つけた、男と同じ目を消した絵は凄惨な殺人事件を起こし、死刑となった犯罪者の絵。
死刑囚の写真が男とそっくりの顔だったことから彼が死刑囚の息子だと辿り着く。

終盤はなぜ男が別人になったのか?その悲しい顛末を当事者視点で描いた謎解きである。
母方の性を名乗っても、どこに逃げても父親の秘密が露見し、殺人者の息子とレッテルを貼られる過酷な男の人生は涙無くしては見られない。
「自分を壊すためだ」と始めたボクシング。
しかし、その目的と反して殺人者の呪われた血なのか?殴り合う暴力で頭角を表していく男。
強くなればなるほど、凶暴な父親の存在を身近に感じ、顔も父親に似ていく。
有名になればなるほど「やはり血は争えない」と感じてゆく。
自分は何の罪も犯していなくても犯罪者の息子として生きざるを得ない。
顔も身体もその中に流れる血さえも剥ぎ取ってしまいたいと路上にうずくまって悶え苦しみ、鏡に映る自分の姿を拒否する姿は哀れでならない。

城戸が真相を里枝と大祐の兄に告げる時、「そこまでしなければ生きられなかった」いう言葉は重く、城戸自身にも返ってくる。
自分のアイデンティティを隠し通さねば、真っ当な人生など送れないのだ。

弁護士という社会的地位が高い職業に就いているにも関わらず、在日への差別に苦しんできた城戸。
保守的な妻の家族だけでなく妻にまでも見下され、浮気されていた。
城戸自身もその血に抗いたい人間なのである。

ラストシーンで、事件を解決した城戸はバーで見知らぬ男に身の上話をする。
しかし彼が語ったのは、自分の過去ではなく、男が騙った大祐の過去。

城戸が名乗ろうとするところで映画は終わる。
彼はいったい何と名乗ったのか?本当に戸籍交換をしたのだろうか?
それは分からないが、過去を全て捨ててしまいたいと考えていたのは確かだ。

残念なのは、現実にあり得るかもしれないと思える世界観の中で、柄本明演じる戸籍交換ブローカーが鮮烈なインパクトを残すが、まるで背景の見えぬ「レクター博士」のように現実味を帯びぬ存在であること。

他人になりすまし、過去を封印して生きねばならぬ人間の辛さは、名作「砂の器」に通ずる悲劇である。

自分とは何者なのか?
肩書や人種や国籍や、外側のレッテルを剥ぎ取った時、残る自分のアイデンティティとは何なのか?
見終わった後、そんな問いかけを持つ作品だ。
少なくともどんなレッテルを貼られようとも、良い人間であろうとする人物たちの姿に共感が持てる作品である。
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