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自転車泥棒のGTのネタバレレビュー・内容・結末

自転車泥棒(1948年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

自転車盗まれた!犯人探して自転車取り返さなきゃ仕事無くなっちゃう!な映画。ネアリアリズモ映画の代表作(らしい)。
被害者のアントニオは極貧の失業者であり、物語冒頭でやっと仕事を手に入れる。が、仕事には自転車が必要、自転車には既に金のために質に入れていた。シーツを金に変えて、何とか自転車を手に入れ仕事にとりかかるも、仕事初日から自転車をパクられる。アントニオの自転車捜索は難航し、警察は相手にしてくれないし、自転車市場に行っても大量の自転車の中からそれを見つけるのはほぼ不可能。焦りのあまり強引な捜査を行うアントニオに、市民たちの反応は冷淡だ。藁にも縋る思いで妻が頼っていた、明らかに胡散臭い占い師に相談するも「すぐ見つかるか一生見つからないかのどっちかだ」とかいう舐めた事を言われる始末。が、その占いの直後に犯人らしき人物を見つけるも、盗品は無く、証拠不十分で結局何もできず。しかもアントニオが高圧的に犯人に詰め寄って相手を失神させてしまったために、市民たちから罵声を浴びせられながら泣く泣く退却。切羽詰まったアントニオはアントニオは今度は自分が自転車泥棒をしてしまうも、バレて警察に突き出されそうになる。息子のブルーノの必至の嘆願により警察行きだけは免れたものの、泣き顔のアントニオとブルーノがとぼとぼと群集の中に消えていくという、胸糞なエンディング。
敗戦直後イタリアの貧困がテーマになっており、自転車を盗んだ若者も貧困に喘いでいたという、貧困者と貧困者がぶつかり合うという生々しさ。アントニオの探し方はあまりに強引過ぎ、さらに自転車のことばかりに気が取られ過ぎて、他の道は無いか検討するという事を一切しようとしないのも、「貧すれば鈍する」という言葉を体現しているようで泣ける。あと、この時代よりも遥かにセキュリティという面で発達している現代でさえ、こういう「被害者泣き寝入り」的展開は多いし、そういう意味でも生々しかった。自転車には、ちゃんと鍵をかけておこう。
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